こだま型もいよいよ電気釜の時代へ
─ボンネット型の終焉、そして電気釜の誕生─
こだま型ボンネットスタイルが全盛を極めてから10年余り。
ついに一世を風靡した“こだま型”特急電車の象徴だった
ボンネット形状が変更される事になります。
その先駆けが1972年(昭和47年)7月に登場した183系でした。
この年、総武本線をはじめ現在の外房線、内房線などの路線が
電化され、急行列車の一部が特急に格上げされました。
そこで「わかしお」「しおさい」用に誕生した車両が183系です。
この183系の先頭車両は、それまでの特急電車の代名詞だった
ボンネット型ではなく、貫通扉を配した平面スタイルへと
変貌を遂げていました。
その先頭形状が当時の電気釜(炊飯器)に似ていた事から、
いつの間にかこのスタイルの電車を電気釜と呼ぶようになります。
─485系も電気釜へと変化─
1968年(昭和43年)デビューの485系電車については、人々の熱い
要望から151系電車のデザインを引き継ぎ、ボンネットスタイルで
誕生した事は、前々回のブログで述べた通りです。

手前:電気釜485系 奥:ボンネット151系
しかし、183系の投入された1972年(昭和47年)から翌73年までに
製造された485系は、183系と同じく貫通扉を設けた電気釜スタイルの
車体へと大きく姿を変えたデザインで製造される事になります。
そもそも183系はこの電気釜スタイルの485系が設計のベースと
なっています。つまり国鉄では、1968年から1972年の間に人気の
ボンネット型から電器釜スタイルへと車体デザインの大幅変更を
推し進めた事になります。
さて、それではこの貫通扉の付いた電気釜車両は一体いつ、
どこで誕生したものなのでしょうか?
─目的の違った183系と485系の貫通扉─
国鉄の特急形電車として初めて前面に貫通扉が設置されたのは、
1967年(昭和42年)に登場した581系です。ボンネット型の485系が
投入される1年前の事でした。

国鉄特急電車初の貫通形581系
当時、前面貫通扉、もとい前面貫通形の車体を採用した理由、
それは多層建ての列車運用を想定していたからに他なりません。
都市部の幹線から各地の支線が電化によって結ばれた国鉄に
とって、次の課題は効率的な列車運用を行うことです。
その布石として分割・併合運転が行えるよう前面貫通形の
特急電車が必要となったのでした。

左:485系200番台 右:581系
さて、特急電車の標準化という視点に立脚してみると分割・併合
運転のために485系、続く183系が電気釜になった事は十分に
理解できます。
しかし、183系の貫通扉設置は分割・併合運転の為だと云う
以前に、絶対に設置しなければならない理由がありました。
それが地下区間走行のための安全対策です。東京で地下駅に
乗り入れる為には火災対策としてA-A基準を満たしていなければ
なりません。つまり183系は、走行路線の条件として貫通形の
車両でなければならなかったわけです。
このように厳密にみてみると、485系と183系では貫通扉設置の
最も大きな理由は異なるようですが、分割・併合運転と安全対策と
いう目的はすべての特急に必須の要素であったことに違いは
ありません。
───────────────────────────────
トピックス1~閉ざされた扉~

左:485系200番台 右:485系300番台
1974年(昭和49年)から製造された先頭車からは貫通扉が
撤去された。模型でもきちんと前面の扉が無くなっている。
理由は扉からすきま風、降雪地帯では粉雪が舞い込むこと、
そうした部分の腐食が早いなどのトラブルが浮上した事に因る。
また、乗務員スペースが狭いという問題点が指摘された。
更には予想していた分割・併合運転も行われる予定がなかった
ことから、485系では300番台グループとして貫通扉を廃止した
車両を製造する事に。
ちなみに485系の併結運転が初めて行われたのは1976年
(昭和51年)、長崎・佐世保線の「かもめ」と「みどり」であった。
───────────────────────────────
─時代は変わり、技術も変わる─
ボンネット型の151系こだまの登場が1958年(昭和33年)、
そして、電器釜へと変化した183系の投入が1972年(昭和47年)
でしたので、単純に計算してみると、ボンネット型特急電車の
製造期間はおよそ14年間だった事が分かります。
1968年(昭和43年)時点では、“こだま型”の特急でなければ
受け入れられないとまで言われていたはずが、4年後の1972年
登場の電気釜スタイルの特急電車には、それほど反対意見が
出される事はなかったようです。
勿論、151系電車はじめ、ボンネット型の485系が既に各地で
走行していたこと。また、ボンネット型の特急電車も直ぐに
姿を消すというわけでもないので、人々の“こだま型”に
対する気持ちに変化があったとしても不思議なことでは
ありません。

尚、ボンネットを廃し、前面を貫通形に変更するに当たっては
当然技術の進歩がありました。
そもそもボンネットの中には、騒音の元となる電動発電機や
コンプレッサーが設置されていました。当然これは走行時の
騒音となるこれらの機器を客室から最も遠ざける手段として
ボンネットに格納したわけです。
考えようによっては、デザイン性が素晴らしいのでボンネット
型にしたわけではなく、技術的な騒音対策の目的と合致した
ことからボンネット型になったとも言えます。
その後、技術の進歩と共に小型・静音化が進み、車両の床下に
格納しても問題なくなった事から、ボンネット型でない先頭車を
デザインする事が出来るようになったわけです。
一概に同じ扱いにしてよいものかどうか分かりませんが、151系の
登場が1958年(昭和33年)ですから、国鉄特急初の貫通扉採用車両、
581系の誕生1967年(昭和42年)までで計算してみると10年もしない
期間で小型・静音化を達成している事になります。
こうして、列車運用の目的とそれを支える技術とが噛みあいながら、
電車特急の顔がボンネットスタイルから“電気釜”へと移り変わって
いったのでした。
───────────────────────────────
トピックス2:JR西日本~183系に成った485系~
1986年(昭和61年)、福知山線や山陰本線の一部区間が交流ではなく
直流にて電化された。
しかし、西日本地域には直流区間用の電車が無かった為、紀勢
本線の特急「くろしお」で運用していた交直両用の485系を改造し、
該当区間に投入。交直両用の485系を走行させるために交流
機器の撤去、もしくは使用を停止する事で運行させたのだった。

左:KATO485系200番台 右:TOMIX183系(JR西日本オリジナル塗装)
当然のことながら183系は485系を転用しているので、
見比べてみても車体のフォルムは瓜二つだ。
但し、厳密に言うとベース車両(種車)の違いによって
細かな違いがあり、10以上もの区分に分かれていた。
ちなみにJR西日本の183系は全て485系と、その後の489系を
改造したものだが、途中からJR西日本のオリジナル塗装に
変更されている。このカラーリングは何とも関西らしい塗装だ。
丁度、国鉄の民営化でドタバタしていた時代。急遽(?)485系を
持ってきて、183系に改造しなければならなかった経緯にも
きっと国鉄の苦しいエピソードが眠っているのだろう。
尚、これらの車体は2013年に全車が廃車されている。
───────────────────────────────
国鉄時代からJR化後まで特急電車のスタンダードとして
長く活躍した“電気釜”車両対応のメイクアップシールも
好評発売中!

「485系 200番台 基本6両セット」\3,960
品番:TM-KN101
「国鉄 485系 300番台 6両セット」\3,960
品番:TM-KN102
「JR 489系 特急電車 あさま 9両セット」\3,520
品番:TM-TN015

「583系・581系 基本 7両セット」\5,720
品番:TM-KN105
「583系・581系 増結 7両セット」\5,280
品番:TM-KN106
「国鉄 381-100系 特急電車 9両セット」\4,180
品番:TM-TN014

「183系 特急電車 たんば4両+まいづる3両」\3,300
品番:TM-TN013
「189系 グレードアップあさま 基本6両セット」\3,520
品番:TM-KN089
「189系 グレードアップあさま 増結6両セット」\3,300
品番:TM-KN090

「381系ゆったりやくも 6両セット」\3,520
品番:TM-KN093
「381系ゆったりやくも(ノーマル編成)7両セット」\3,740
品番:TM-KN094
「381系スーパーくろしお(リニューアル編成)基本6両セット」\3,520
品番:TM-KN095
「381系スーパーくろしお(リニューアル編成)増結3両セット」\2,640
品番:TM-KN096
(※販売価格は、2021年8月時点のものです)
こだま型ボンネットスタイルが全盛を極めてから10年余り。
ついに一世を風靡した“こだま型”特急電車の象徴だった
ボンネット形状が変更される事になります。
その先駆けが1972年(昭和47年)7月に登場した183系でした。
この年、総武本線をはじめ現在の外房線、内房線などの路線が
電化され、急行列車の一部が特急に格上げされました。
そこで「わかしお」「しおさい」用に誕生した車両が183系です。
この183系の先頭車両は、それまでの特急電車の代名詞だった
ボンネット型ではなく、貫通扉を配した平面スタイルへと
変貌を遂げていました。
その先頭形状が当時の電気釜(炊飯器)に似ていた事から、
いつの間にかこのスタイルの電車を電気釜と呼ぶようになります。
─485系も電気釜へと変化─
1968年(昭和43年)デビューの485系電車については、人々の熱い
要望から151系電車のデザインを引き継ぎ、ボンネットスタイルで
誕生した事は、前々回のブログで述べた通りです。

手前:電気釜485系 奥:ボンネット151系
しかし、183系の投入された1972年(昭和47年)から翌73年までに
製造された485系は、183系と同じく貫通扉を設けた電気釜スタイルの
車体へと大きく姿を変えたデザインで製造される事になります。
そもそも183系はこの電気釜スタイルの485系が設計のベースと
なっています。つまり国鉄では、1968年から1972年の間に人気の
ボンネット型から電器釜スタイルへと車体デザインの大幅変更を
推し進めた事になります。
さて、それではこの貫通扉の付いた電気釜車両は一体いつ、
どこで誕生したものなのでしょうか?
─目的の違った183系と485系の貫通扉─
国鉄の特急形電車として初めて前面に貫通扉が設置されたのは、
1967年(昭和42年)に登場した581系です。ボンネット型の485系が
投入される1年前の事でした。

国鉄特急電車初の貫通形581系
当時、前面貫通扉、もとい前面貫通形の車体を採用した理由、
それは多層建ての列車運用を想定していたからに他なりません。
都市部の幹線から各地の支線が電化によって結ばれた国鉄に
とって、次の課題は効率的な列車運用を行うことです。
その布石として分割・併合運転が行えるよう前面貫通形の
特急電車が必要となったのでした。

左:485系200番台 右:581系
さて、特急電車の標準化という視点に立脚してみると分割・併合
運転のために485系、続く183系が電気釜になった事は十分に
理解できます。
しかし、183系の貫通扉設置は分割・併合運転の為だと云う
以前に、絶対に設置しなければならない理由がありました。
それが地下区間走行のための安全対策です。東京で地下駅に
乗り入れる為には火災対策としてA-A基準を満たしていなければ
なりません。つまり183系は、走行路線の条件として貫通形の
車両でなければならなかったわけです。
このように厳密にみてみると、485系と183系では貫通扉設置の
最も大きな理由は異なるようですが、分割・併合運転と安全対策と
いう目的はすべての特急に必須の要素であったことに違いは
ありません。
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トピックス1~閉ざされた扉~

左:485系200番台 右:485系300番台
1974年(昭和49年)から製造された先頭車からは貫通扉が
撤去された。模型でもきちんと前面の扉が無くなっている。
理由は扉からすきま風、降雪地帯では粉雪が舞い込むこと、
そうした部分の腐食が早いなどのトラブルが浮上した事に因る。
また、乗務員スペースが狭いという問題点が指摘された。
更には予想していた分割・併合運転も行われる予定がなかった
ことから、485系では300番台グループとして貫通扉を廃止した
車両を製造する事に。
ちなみに485系の併結運転が初めて行われたのは1976年
(昭和51年)、長崎・佐世保線の「かもめ」と「みどり」であった。
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─時代は変わり、技術も変わる─
ボンネット型の151系こだまの登場が1958年(昭和33年)、
そして、電器釜へと変化した183系の投入が1972年(昭和47年)
でしたので、単純に計算してみると、ボンネット型特急電車の
製造期間はおよそ14年間だった事が分かります。
1968年(昭和43年)時点では、“こだま型”の特急でなければ
受け入れられないとまで言われていたはずが、4年後の1972年
登場の電気釜スタイルの特急電車には、それほど反対意見が
出される事はなかったようです。
勿論、151系電車はじめ、ボンネット型の485系が既に各地で
走行していたこと。また、ボンネット型の特急電車も直ぐに
姿を消すというわけでもないので、人々の“こだま型”に
対する気持ちに変化があったとしても不思議なことでは
ありません。

尚、ボンネットを廃し、前面を貫通形に変更するに当たっては
当然技術の進歩がありました。
そもそもボンネットの中には、騒音の元となる電動発電機や
コンプレッサーが設置されていました。当然これは走行時の
騒音となるこれらの機器を客室から最も遠ざける手段として
ボンネットに格納したわけです。
考えようによっては、デザイン性が素晴らしいのでボンネット
型にしたわけではなく、技術的な騒音対策の目的と合致した
ことからボンネット型になったとも言えます。
その後、技術の進歩と共に小型・静音化が進み、車両の床下に
格納しても問題なくなった事から、ボンネット型でない先頭車を
デザインする事が出来るようになったわけです。
一概に同じ扱いにしてよいものかどうか分かりませんが、151系の
登場が1958年(昭和33年)ですから、国鉄特急初の貫通扉採用車両、
581系の誕生1967年(昭和42年)までで計算してみると10年もしない
期間で小型・静音化を達成している事になります。
こうして、列車運用の目的とそれを支える技術とが噛みあいながら、
電車特急の顔がボンネットスタイルから“電気釜”へと移り変わって
いったのでした。
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トピックス2:JR西日本~183系に成った485系~
1986年(昭和61年)、福知山線や山陰本線の一部区間が交流ではなく
直流にて電化された。
しかし、西日本地域には直流区間用の電車が無かった為、紀勢
本線の特急「くろしお」で運用していた交直両用の485系を改造し、
該当区間に投入。交直両用の485系を走行させるために交流
機器の撤去、もしくは使用を停止する事で運行させたのだった。

左:KATO485系200番台 右:TOMIX183系(JR西日本オリジナル塗装)
当然のことながら183系は485系を転用しているので、
見比べてみても車体のフォルムは瓜二つだ。
但し、厳密に言うとベース車両(種車)の違いによって
細かな違いがあり、10以上もの区分に分かれていた。
ちなみにJR西日本の183系は全て485系と、その後の489系を
改造したものだが、途中からJR西日本のオリジナル塗装に
変更されている。このカラーリングは何とも関西らしい塗装だ。
丁度、国鉄の民営化でドタバタしていた時代。急遽(?)485系を
持ってきて、183系に改造しなければならなかった経緯にも
きっと国鉄の苦しいエピソードが眠っているのだろう。
尚、これらの車体は2013年に全車が廃車されている。
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国鉄時代からJR化後まで特急電車のスタンダードとして
長く活躍した“電気釜”車両対応のメイクアップシールも
好評発売中!

「485系 200番台 基本6両セット」\3,960
品番:TM-KN101
「国鉄 485系 300番台 6両セット」\3,960
品番:TM-KN102
「JR 489系 特急電車 あさま 9両セット」\3,520
品番:TM-TN015

「583系・581系 基本 7両セット」\5,720
品番:TM-KN105
「583系・581系 増結 7両セット」\5,280
品番:TM-KN106
「国鉄 381-100系 特急電車 9両セット」\4,180
品番:TM-TN014

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品番:TM-TN013
「189系 グレードアップあさま 基本6両セット」\3,520
品番:TM-KN089
「189系 グレードアップあさま 増結6両セット」\3,300
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「381系ゆったりやくも 6両セット」\3,520
品番:TM-KN093
「381系ゆったりやくも(ノーマル編成)7両セット」\3,740
品番:TM-KN094
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品番:TM-KN095
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品番:TM-KN096
(※販売価格は、2021年8月時点のものです)
category: 151系こだま・つばめ
こだま型~交直両用にも対応し全国へ~

手前から151系、181系、481系初期型
─日本特有(?)の鉄道電化─
日本の電気鉄道は架線から集電した高圧電流を直接使用する
直流電源にて発展してきました。都市部をはじめ、東海道本線の
全線電化も当然、直流が用いられています。
しかし欧米諸国では戦後既に交流による電車が実用化されており、
地上設備への投資を抑えられる交流による電化が国鉄でも
推奨される事になりました。
結果、1964年(昭和39年)以降、電化路線の延伸にともなって
順次電化されていった地方の路線は交流電化となったのでした。
さて、ここで問題になってくるのが、異なる電流区間を直通させる
電車をどうするかです。しかも日本の交流は東日本で採用されて
いる50Hzと、西日本の60Hz、2つの周波数が併存しています。
実際、直流電車である151系の「つばめ」「はと」は、直流交流の
切り替え区間のある下関-門司間を交直流機関車EF30に。
その先、門司-博多間では交流機関車ED73に牽引される必要が
ありました。
─無いのであれば造るしかない!交直流電車─
「直流←→交流50Hz←→交流60Hz」
この3つの異なる電流方式にどう対応していくか。
その問いに応える電車が1964年(昭和39年)、関西と北陸・九州用に
開発された直流・交流60Hz対応の481系電車です。この年、大阪・
名古屋-富山間を結ぶ、「雷鳥」「しらさぎ」が営業を開始します。

481系「雷鳥」
翌1965年(昭和40年)には関東と東北用の直流・交流50Hz対応の
483系電車が早くも誕生。
この年は名古屋-熊本間の「つばめ」、上野-盛岡間の「やまびこ」が
運行され、各地の直流と交流区間が結ばれていきます。
さらに3年の時を経て、最後に投入されたのが485系電車でした。
直流交流、異なる周波数に関係なくどこでも走行出来るオール
マイティな電車です。特に異電化区間が混在する日本海沿岸
ルートではその性能が遺憾なく発揮されました。
─続・電車特急はこだま型でなければ認められない─
さて、交直両用の481系・483系、そして485系でも製造初期の
段階ではこだま型のボンネットスタイルが見事に継承されました。
もちろんこれは、前回の富塚通信でも紹介した通り、「電車特急は
こだまスタイルでなければ認めない」という地元の人々の要望があった
からに他なりません。
実は当時、国鉄内には151系電車(の増備車)を交直両用仕様に
改造し直すという計画がありました。この時点で151系は製造から
まだ数年しか経っておらず、車両としては十分現役です。
そこで、東海道新幹線の開業で余剰するであろう151系を活用する
目的で、このプランが立案されたのでした。
しかし、この改造計画は結局、承認されることなく、新しい481系
シリーズの車両を製造することで話がまとまります。もしかすると、
裏では国鉄内部の政治もあったのかもしれませんが、筆者は
やはり技術的な要因が大きな理由だったと考えます。
鉄道車両に限らず、開発時から目的に合わせて専用の設計を行ったものと、
もともと違う設計で造ったものを無理に改造するのとでは、その後の
安定性や信頼性に大きな差が出てくるであろう事は想像に難くありません。
実際、481系は151系電車の車体をベースにしつつも、交直機器を
増加する為に車体(床面)を125mmほどアップさせています。
もし151系の車両にこの改造工事を行っていたとしたら…
結果、151系は交直流化車両へと改造される事なく山陽本線や上越線に
転出されたのは、以前のブログでも述べた通りです。
───────────────────────────────────
トピックス1~模型に見る151系・181系・481系~


左:151系こだま 右:181系とき
151系と181系では外観に関して大きな違いこそないものの、小断面
トンネルを通過する為に181系は前灯・ホイッスルが取り外されている。
また、特急マークの左右に赤いラインが塗装された。
ちなみに実車では存在するボンネットの点検蓋が、151系の模型の方では
成型されていなかったりする。


481系ひばり
151系のボンネットスタイルを踏襲していますが、スカート周りがクリーム
色に変更され、耐雪用のスノープロウが装備された。
屋根上は181形では撤去されたヘッドライト・タイフォンカバーが復活。
また、その後方には交流区間で必須の静電アンテナも取り付けられているが、
破損の多かったバックミラーは姿を消すことに。
───────────────────────────────────
─181系とき、雪深い山岳線区を克服せよ─
さて、時を同じくして、多くの改造を重ねた車両が181系電車でした。
上越線は清水トンネルを境にして天候が大きく異なる過酷な路線ですが、
そんな山岳、豪雪区間で力走を続けたのが「181系とき」です。
181系は151系と161系の仕様統一改造、若しくは新製で造られた車両群ですが、
1964年(昭和39年)、151系の出力増大改造を皮切りに、1978年(昭和53年)
までの間に、山岳対応、横軽対策、車軸変換、120㎞/h運転対策、編成変更
対応、アコモデーションなどの改造が繰り返されます。
そうした改造の中でも最も重要な改良が耐寒・耐雪設備の強化でした。
特に1973年(昭和48年)に発生した「四八豪雪」と呼ばれる大雪の影響は
甚大で、電気機器のショートや雪塊に因る床下機器の破損が多発した
「181系とき」は、次々と運休に追い込まれてしまいます。
ある意味では山岳、豪雪区間を走る初めての電車特急という側面はあった
ものの、世間の批判に晒された国鉄は1974年(昭和49年)、専門のプロ
ジェクトチームまで立ち上げて原因の究明に努めます。
その結果として、床下機器箱の強化や更新など徹底した耐雪改造を施します。
併せて走行振動が酷くなっていた181系は、軸箱調整や防振ゴムの取り換えも
実施されましたが、既に183系電車の投入が決まっていた事もあり、これらの
大改造は一部の車両に対してのみ行われたのでした。但し、これらの改良で
得られた多くのノウハウは、その後の車両開発に活かされる事になります。
───────────────────────────────────
トピックス2~模型に見る台車と床下機器の違い~


左:151系DT23台車 右:151系TR58台車
国鉄のDT21Y形台車をベースに151系用として開発された。
乗り心地を追求した空気ばね台車であるが、台車枠に亀裂が
入るといったトラブルに見舞われ、各種の改造が施された。


左:181系DT32台車 右:181系TR58台車
151系用台車DT23及び、TR58の後継に当たる台車。特急・急行形
電車仕様の設計。インダイレクトマウント構造と側受を廃止した。
こと等から151系のDT23、TR58と比較すると構造自体がシンプルに
なっている。他にも481系はもちろん、165系、581系、185系と
いった電車で採用された

151系:MR15主抵抗器

181系:MR78主抵抗器
主抵抗器によって主電動機に流す電気を制御する事ではじめて、
電車は正常に走行する事が出来る。そうした電車の抵抗器は雨や
塵埃に晒されながらも、走行振動に耐え、適正温度以内で作動し
続ける安定性が要求される。
151系と181系の主抵抗器は、前述したように雪や雪塊対策として
機器そのものが強化されている事が一目瞭然だ。
尚、MR78は強制通風式の構造となっているので、ケースで覆われて
いても、抵抗器の温度上昇は心配ない。
文字通り車体を支える台車や床下機器も、厳しい気候且つ、
山岳地帯を走行する為に、大きな進化を遂げていた。
───────────────────────────────────

手前から481系ひばり・181系とき・151系こだま
ともあれ、「151系こだま」のボンネットスタイルは、多くの国民の要望から
161系、181系はもとより、交直両用の481系・483系・485系という新世代の
万能電車にもしっかりと受け継がれ、四国を除いた日本各地でこだま型の
電車特急が見られる事となりました。
この事からも、こだま型電車の速さ、特急ならではの快適さ、そして
何よりも時代を先取りしたスタイルといった価値が、如何に人々の
気持ちを捉えて離さなかったのか窺い知ることができます。
まさに「151系こだま」は、人々を夢中にしたスターだったのでした。
さて、メイクアップシールではボンネットスタイルで誕生した481系と
485系に対応したパッケージもラインナップ。
尚、481系の車両は485系初期型や485系雷鳥で模型化されています。

「485系初期型 ひばり 基本7両セット」
品番:TM-KN098 ¥4,620
「485系増結・単品 6両セット」
品番:TM-KN099 ¥4,400

「485系初期型 ひばり 基本・増結13両セット」
品番:TM-KN100 ¥6,820
「国鉄485・489系 初期形雷鳥・白山・あさま12両セット」
品番:TM-KN103 ¥4,620
そして、これら485系初期型のデザインベースになった
「151系電車こだま・つばめ」も好評発売中。

「151系 こだま・つばめ 基本8両セット」
品番:TM-KN148 ¥4,400
「151系 こだま・つばめ 増結4両セット」
品番:TM-KN149 ¥3,520
(※上記販売価格は2021年8月時点のものです)
憧れだったこだま型スタイルの特急電車、151系・181系・481系(485系)の
車内再現をメイクアップシールで、是非お楽しみください!
category: 151系こだま・つばめ
繋がっていく「こだま」
開業前から話題を集め、実際に営業運転が始まってみると
爆発的な人気とともに、予想以上の乗車実績を上げる事に
成功した「こだま」
当然そんな「こだま」には熱い視線が注がれ、各地の地方や
鉄道局から「是非うちにも、こだまを走らせてもらいたい」という
要望や嘆願が国鉄に多く寄せられたという。
そうした声のあった事。また、東海道新幹線開業にともなって、
丁度151系に余剰が出る事などが重なって、「こだま」は上越線や
山陽本線へと転用される事となりました。

「こだま」が北陸や中国地方へ
しかし、151系が急な勾配区間の続く上越線の山岳区間を
果たして走行できるのかという疑義が生じ、1961年6月、
新前橋-長岡間で走行試験を行うことに。
結果は、モーターの過熱による土合での運転打ち切りでした。
尚、この試運転には東京と日光間で運用されている157系でも
同様の走行が試されましたが、同じ主電動機ながら歯数比が
違うだけのこちらは問題なく走行する事が可能でした。
当然、試運転の結果から上越線には、151系ではなく157系を
導入と話は進んだものの、実際157系を上越線で走らせる為には、
冷房機器の増設に耐寒仕様への改良、更には食堂車の連結と
いった必要がありました。
また、新潟の鉄道局からは157系ではなく、あくまで「こだま型」の
投入希望という強い要請があり、「151系こだま」の車体に157系の
主制御器と、同じ歯数比の動力台車を取り付けた車両を製造
することに。こうして誕生したのが「161系とき」です。
ちなみに、161系の最高速度の向上を目的に主電動機出力を
増強の上、走行性能を統一した車両が181系となりました。
1965年(昭和40年)のことでした。

こだまスタイルの「181系とき」と「165系佐渡」
当然、新幹線の営業開始に合わせた各地の特急列車網を
整備していくという国鉄の方針が背景にあった事は勿論ですが、
「わが県にも“こだま”を走らせて欲しい」という強い思いが、
151系のフォルムをそのまま取り入れることに繋がったという
この事実は、日本の鉄道史においても非常に興味深い事例に
思われてなりません。
国鉄側には、一応、新潟鉄道局がこだま型車両導入の嘆願書を
度々提出していたようですが、新潟の鉄道局がそもそも熱心に
動いたのは、地元の人々からの要望があったからのようで、
「こだま」が走るというのは、自分の住む地元が近代化したの
だという事を、目に見える形で表した象徴のような意味合いを
持っていたのかもしれません。
兎に角、電車のスタイルは“こだま”型で!
この願いは後に生まれる交直流電車481系・483系・485系でも
しっかりと受け継がれていくのでした。それはまた次のお話で。
今回、ブログで登場した「151系こだま」「181系とき」そして、153系を
ベースに出力増強を施し、勾配線区対応を行った「165系急行佐渡」
各メイクアップシールは好評発売中!

「151系 こだま・つばめ 基本8両セット」 4,400円
品番:TM-KN148
「151系 こだま・つばめ 増結4両セット」 3,520円
品番:TM-KN149

「181系100番台 とき・あずさ 基本6両セット」 ¥3,300
品番:TM-KN086
「181系100番台 とき・あずさ 増結6両セット」 ¥3,300
品番:TM-KN087

「165系 急行 佐渡 基本7両セット」 ¥4,180
品番:TM-KN084
「165系 急行 佐渡 増結7両セット」 ¥3,960
品番:TM-KN085
(※上記販売価格は2021年8月時点のものです)
爆発的な人気とともに、予想以上の乗車実績を上げる事に
成功した「こだま」
当然そんな「こだま」には熱い視線が注がれ、各地の地方や
鉄道局から「是非うちにも、こだまを走らせてもらいたい」という
要望や嘆願が国鉄に多く寄せられたという。
そうした声のあった事。また、東海道新幹線開業にともなって、
丁度151系に余剰が出る事などが重なって、「こだま」は上越線や
山陽本線へと転用される事となりました。

「こだま」が北陸や中国地方へ
しかし、151系が急な勾配区間の続く上越線の山岳区間を
果たして走行できるのかという疑義が生じ、1961年6月、
新前橋-長岡間で走行試験を行うことに。
結果は、モーターの過熱による土合での運転打ち切りでした。
尚、この試運転には東京と日光間で運用されている157系でも
同様の走行が試されましたが、同じ主電動機ながら歯数比が
違うだけのこちらは問題なく走行する事が可能でした。
当然、試運転の結果から上越線には、151系ではなく157系を
導入と話は進んだものの、実際157系を上越線で走らせる為には、
冷房機器の増設に耐寒仕様への改良、更には食堂車の連結と
いった必要がありました。
また、新潟の鉄道局からは157系ではなく、あくまで「こだま型」の
投入希望という強い要請があり、「151系こだま」の車体に157系の
主制御器と、同じ歯数比の動力台車を取り付けた車両を製造
することに。こうして誕生したのが「161系とき」です。
ちなみに、161系の最高速度の向上を目的に主電動機出力を
増強の上、走行性能を統一した車両が181系となりました。
1965年(昭和40年)のことでした。

こだまスタイルの「181系とき」と「165系佐渡」
当然、新幹線の営業開始に合わせた各地の特急列車網を
整備していくという国鉄の方針が背景にあった事は勿論ですが、
「わが県にも“こだま”を走らせて欲しい」という強い思いが、
151系のフォルムをそのまま取り入れることに繋がったという
この事実は、日本の鉄道史においても非常に興味深い事例に
思われてなりません。
国鉄側には、一応、新潟鉄道局がこだま型車両導入の嘆願書を
度々提出していたようですが、新潟の鉄道局がそもそも熱心に
動いたのは、地元の人々からの要望があったからのようで、
「こだま」が走るというのは、自分の住む地元が近代化したの
だという事を、目に見える形で表した象徴のような意味合いを
持っていたのかもしれません。
兎に角、電車のスタイルは“こだま”型で!
この願いは後に生まれる交直流電車481系・483系・485系でも
しっかりと受け継がれていくのでした。それはまた次のお話で。
今回、ブログで登場した「151系こだま」「181系とき」そして、153系を
ベースに出力増強を施し、勾配線区対応を行った「165系急行佐渡」
各メイクアップシールは好評発売中!

「151系 こだま・つばめ 基本8両セット」 4,400円
品番:TM-KN148
「151系 こだま・つばめ 増結4両セット」 3,520円
品番:TM-KN149

「181系100番台 とき・あずさ 基本6両セット」 ¥3,300
品番:TM-KN086
「181系100番台 とき・あずさ 増結6両セット」 ¥3,300
品番:TM-KN087

「165系 急行 佐渡 基本7両セット」 ¥4,180
品番:TM-KN084
「165系 急行 佐渡 増結7両セット」 ¥3,960
品番:TM-KN085
(※上記販売価格は2021年8月時点のものです)
category: 151系こだま・つばめ
「151系こだま・つばめ」グリーン車シール対応について
先日発売しましたメイクアップシール「151系こだま・つばめ
基本8両セット」について、お客様より「モロ150」及び、
「モロ151」に関するご連絡を頂戴しました。

旧製造ロットのモロ全体写真
今回、私共では本年6月にKATOより再販された「151系こだま・
つばめ」に合わせたシール化を行いましたが、以前にKATOより
発売されたセットとでは、2号車モロ151と3号車モロ150の一部
成型に違いが認められたとの情報をお寄せ頂きました。


左:以前に生産されたモロ 右:今回再販されたモロ
今回再販されたモロ151・モロ150には、室内灯取り付け側の
乗務員室部分に1か所壁面が成型されていますが、以前の
ロットではそうした壁面は成型されていないとの事でした。
お客様の模型は2010年ロットのもので、品番は4642となって
いるとのお話です。
「151系こだま・つばめ」の模型につきましては、情報を
お寄せいただいたお客様と同じく、以前のロット製品を
お持ちのお客様も多くいらっしゃるものと考えられます。
そこで旧仕様のモロ151、モロ150に対応した修正シールを
追加で製作し、パッケージに付属いたしました。
尚、旧ロットのモロは当方製作室にて所有していない為、
ご連絡いただいたお客様にお願いして、対応シールの
適合をご確認いただきました。


対応版のシールを貼付したモロ
この度、対応版シールを貼った車両のお写真と合わせて、
問題なく使用出来たとのご連絡を頂戴しました。
現在、販売しておりますメイクアップシール「151系こだま・
つばめ基本8両セット」には、旧仕様のモロ151、モロ150に
対応した修正版シールが付属していますので、安心して
お求めいただけます。
尚、既に製品をお買い上げくださいましたお客様で、上記
モロ151、モロ150の成型違いにより、シールが対応して
いないお客様へは、当店の方から該当箇所の対応版シールを
お送りさせていただきますので、お手数ですがメールにて
ご連絡をお願い致します。
また、本件につきまして何かご不明な点がございましたら、
メールにてお問い合わせください。
最後にこの度の対応版シールの製作に当たり、
Y.I.様に写真の提供を含め多大なるご協力をいただきました。
この場をお借りして深謝申し上げます。
基本8両セット」について、お客様より「モロ150」及び、
「モロ151」に関するご連絡を頂戴しました。

旧製造ロットのモロ全体写真
今回、私共では本年6月にKATOより再販された「151系こだま・
つばめ」に合わせたシール化を行いましたが、以前にKATOより
発売されたセットとでは、2号車モロ151と3号車モロ150の一部
成型に違いが認められたとの情報をお寄せ頂きました。


左:以前に生産されたモロ 右:今回再販されたモロ
今回再販されたモロ151・モロ150には、室内灯取り付け側の
乗務員室部分に1か所壁面が成型されていますが、以前の
ロットではそうした壁面は成型されていないとの事でした。
お客様の模型は2010年ロットのもので、品番は4642となって
いるとのお話です。
「151系こだま・つばめ」の模型につきましては、情報を
お寄せいただいたお客様と同じく、以前のロット製品を
お持ちのお客様も多くいらっしゃるものと考えられます。
そこで旧仕様のモロ151、モロ150に対応した修正シールを
追加で製作し、パッケージに付属いたしました。
尚、旧ロットのモロは当方製作室にて所有していない為、
ご連絡いただいたお客様にお願いして、対応シールの
適合をご確認いただきました。


対応版のシールを貼付したモロ
この度、対応版シールを貼った車両のお写真と合わせて、
問題なく使用出来たとのご連絡を頂戴しました。
現在、販売しておりますメイクアップシール「151系こだま・
つばめ基本8両セット」には、旧仕様のモロ151、モロ150に
対応した修正版シールが付属していますので、安心して
お求めいただけます。
尚、既に製品をお買い上げくださいましたお客様で、上記
モロ151、モロ150の成型違いにより、シールが対応して
いないお客様へは、当店の方から該当箇所の対応版シールを
お送りさせていただきますので、お手数ですがメールにて
ご連絡をお願い致します。
また、本件につきまして何かご不明な点がございましたら、
メールにてお問い合わせください。
最後にこの度の対応版シールの製作に当たり、
Y.I.様に写真の提供を含め多大なるご協力をいただきました。
この場をお借りして深謝申し上げます。
category: 151系こだま・つばめ
「151系」誕生までの苦難と突き付けられた課題
1958年(昭和33年)、ボンネット形という外観の流麗なフォルムや、
東京~大阪間を7時間未満で走るという列車のスピードもさることながら、
全車冷房完備の車内設備や特急というに相応しい風格を携えた
「151系こだま」形は華々しく活躍し、一世を風靡しました。
前回の富塚通信にて「151系こだま」は「ひびき」号の補完が行われる程の
大成功を収めた事に触れました。ちなみに「こだま」の初年度乗車率は
90%以上を達成とビジネス的にも見事な結果を残しています。
しかし、その「151系こだま」の誕生までには、そこに関わった技術者や
鉄道マンたちに多くの難問が待ち受けていたのです。

今回の富塚通信ではそんな「こだま」誕生までに辿った困難の道のりと、
その後、突き付けられた課題に焦点を当てて記事を書いてみたいと思います。
東海道本線が全線電化された昭和31年11月19日。全区間、電気機関車
牽引による「つばめ」「はと」で東京-大阪間を7時間30分での運転走行が
達成されました。
当時は戦後復興を目指し、輸送力増強と共に高速化を進めていたものの、
機関車牽引による更なるスピードアップとなると、当時の貧弱な地上設備を
大規模に改修する必要があり、例えば東海道本線で最高速度110km/hの
6時間30分を実現させるためには、単純試算でも軌道強化だけで5年の
歳月と当時の金額で150億円もの予算が必要となります。
これは1kmあたりに換算すると、約2500万円前後の予算が掛かることを
意味します。その他の電化設備や車両設備投資なども考えると予算的にも
歳月的にも不可能な要求でした。
そこで予算面はもとより、軽くて速いだけではなく快適な車両としての
電車が注目されることになりました。
~動力近代化を体現した「こだま」~
現代であれば、「電車は機関車に比べ軽量であり、高速性能にも静粛性にも
優れる」こう言われても何の疑義を挟むことなく首肯できてしまいますが、
残念ながら当時はそうではありませんでした。
むしろ「乗り心地が悪く、騒音も大きい電車列車は長距離には不向きである」
という通説が根強く、事実当時の車両ではそういわれても仕方のない状態でした。
そんな状況から、151系「こだま」の製造プロジェクトは始まったのでした。
まずは最新の技術で電車特急の優位性を示す必要がありました。
車体構造は可能な限りの大きさと居合的な空間づくりを目指し、軽量化と
安全性を両立したセミモノコック構造。騒音対策含め新たに作られたモーターは
中空軸平行カルダン駆動方式。高速走行では脱線の恐れのある横振れ改良を
施した新機軸空気バネ台車と高速運転での長距離走行を実現すべく、
各技術者が当時最高の技術を持ち寄って「151系」は製造されたのでした。
またその内装も、特急と呼ばれるに相応しい、当時として革新的かつ
画期的なものが揃えられました。
照明は蛍光灯によって、当時の国鉄の車内のおよそ5倍ほどにもなる
550ルクスの明るさを実現。現在では当たり前についている全車での
冷房完備も当時としては驚きの快適さとして迎えられました。
他にも車内電話やビュッフェにおける松下製のエアタオル、
東芝製の電気湯燗器、電気冷蔵庫や電気コンロといった電化製品も
151系で初めて電車で採用されました。


左:ビュッフェ 右:食堂車厨房
そして何より、空気抵抗の低減と騒音対策の含んだ151系の代名詞となる
先頭車両の前頭部を流線形のボンネット型と、クリーム色に赤色の塗装が
施された車両は、バランスの取れたスビード感あふれるデザインを確立。
「先進国に負けない設備と性能を持つ特急電車を造る」という151系を開発する
上で技術者たちが目指した設計コンセプトに適う列車が出来上がったのでした。
勿論、こうした流れは6年後に運行が始まる新幹線計画に資するためもあったわけ
ですが、もう1つには国鉄内部の電車反対論者の存在も大きかったと思われます。
当時の国鉄では蒸気を含めた機関車に携わる職員が多く、電車の存在自体が
軽く見られていました。
それが実績も無いにも係わらず機関車を差し置いて、いきなり東海道本線の
花形列車にと話が持ち上がったわけですから、蒸気機関車組の職員とすれば
面白いはずがありません。
「151系こだま」の誕生は、同じ身内であるはずの反対論者に抗いつつの
プロジェクトでもあったのです。
余談ながら、こうした反対論者に隙を与えない対処の1例が、異例ともいえる
営業スケジュールに見て取れました。
「151系こだま」の営業開始は11月1日となっていますが、実はその一か月前の
10月にダイヤ改正が行われており、本来はそのダイヤ改正に合わせて
「こだま」は営業開始となるはずでした。
しかし、それでは乗務関係者の訓練期間が取れないばかりか、初期トラブルの
対応を行うことも儘ならないという事で、営業利益に目を瞑ってでも一か月間
という猶予を確保したのでした。
実際、初期トラブルは多発し、10月からスタートした試運転時には、走行中に
パンタグラフが吹っ飛んでしまう事故も発生。もし、10月のダイヤ改正に合わせて
営業運転を始めていたとしたら、「こだま」のその後の評価にまで影響を与えたで
あろうことは想像に難くありません。
こうして最新技術の導入と改良、国鉄内部の反対論者の思惑を巧みに
かわしながら、「151系こだま」は成功への第一歩を踏み出したのでした。
~その後、「151系」に突き付けられた課題~
人々の人気だけではなく、乗車実績でも申し分のない活躍をみせた
「151系」でしたが、電化路線の延伸にともなって、力不足を露呈する
機会が出てきました。
例えば、山陽本線の広島-岡山間にある瀬野八。この急勾配は補機が
なければ「151系つばめ」は登ることが出来ず、EF61が補機として牽引
する事に。ちなみに補機が必要のない下りと、補機を要する上りとでは
所要時間に約40分もの時間差が生じてしまいました。
評定速度で計算すると約15km/hもの差です。
また、関門海峡から西の交流区間の九州地方での運用では、直流仕様の
「151系」は自走できず、交流機関車が「151系つばめ」を牽引しました。
こちらも門司-博多間までの表定速度を計算すると、およそ66km/hとなり、
高速特急と呼ぶにはいささか腑に落ちない運用とならざるを得ない状況でした。
尚、東京-大阪間を6時間30分で走破した時の表定速度は85.6km/hと
なっており、その表定速度差は約20km/hにもなります。

サヤ420を挟んで151系「つばめ」を牽引するED73
東海道新幹線の登場、そして東海道本線以外では本来の実力を
発揮できない151系電車は、存在の意義そのものを問われる事と
なったのです。
様々な困難を乗り越えて鮮烈なデビューを果たし、東海道本線にて
活躍した「151系こだま」は、昭和39年10月東海道新幹線開業により
惜しまれつつも引退。その栄光は実に6年という短さでした。
しかし、151系で培われた多くの技術と、そのスタイルは確かな一時代を
築き上げ、後の181系や485系電車へとつながる礎を鉄道史に残し、
当時の人々だけでなく、今なお愛される列車となっています。

「151系 こだま・つばめ 基本8両セット 」 4,400円
品番:TM-KN148
「151系 こだま・つばめ 増結4両セット」 3,520円
品番:TM-KN149
(※上記販売価格は2021年7月時点のものです)
「151系こだま・つばめ」メイクアップシール基本&増結セット
好評発売中!
東京~大阪間を7時間未満で走るという列車のスピードもさることながら、
全車冷房完備の車内設備や特急というに相応しい風格を携えた
「151系こだま」形は華々しく活躍し、一世を風靡しました。
前回の富塚通信にて「151系こだま」は「ひびき」号の補完が行われる程の
大成功を収めた事に触れました。ちなみに「こだま」の初年度乗車率は
90%以上を達成とビジネス的にも見事な結果を残しています。
しかし、その「151系こだま」の誕生までには、そこに関わった技術者や
鉄道マンたちに多くの難問が待ち受けていたのです。

今回の富塚通信ではそんな「こだま」誕生までに辿った困難の道のりと、
その後、突き付けられた課題に焦点を当てて記事を書いてみたいと思います。
東海道本線が全線電化された昭和31年11月19日。全区間、電気機関車
牽引による「つばめ」「はと」で東京-大阪間を7時間30分での運転走行が
達成されました。
当時は戦後復興を目指し、輸送力増強と共に高速化を進めていたものの、
機関車牽引による更なるスピードアップとなると、当時の貧弱な地上設備を
大規模に改修する必要があり、例えば東海道本線で最高速度110km/hの
6時間30分を実現させるためには、単純試算でも軌道強化だけで5年の
歳月と当時の金額で150億円もの予算が必要となります。
これは1kmあたりに換算すると、約2500万円前後の予算が掛かることを
意味します。その他の電化設備や車両設備投資なども考えると予算的にも
歳月的にも不可能な要求でした。
そこで予算面はもとより、軽くて速いだけではなく快適な車両としての
電車が注目されることになりました。
~動力近代化を体現した「こだま」~
現代であれば、「電車は機関車に比べ軽量であり、高速性能にも静粛性にも
優れる」こう言われても何の疑義を挟むことなく首肯できてしまいますが、
残念ながら当時はそうではありませんでした。
むしろ「乗り心地が悪く、騒音も大きい電車列車は長距離には不向きである」
という通説が根強く、事実当時の車両ではそういわれても仕方のない状態でした。
そんな状況から、151系「こだま」の製造プロジェクトは始まったのでした。
まずは最新の技術で電車特急の優位性を示す必要がありました。
車体構造は可能な限りの大きさと居合的な空間づくりを目指し、軽量化と
安全性を両立したセミモノコック構造。騒音対策含め新たに作られたモーターは
中空軸平行カルダン駆動方式。高速走行では脱線の恐れのある横振れ改良を
施した新機軸空気バネ台車と高速運転での長距離走行を実現すべく、
各技術者が当時最高の技術を持ち寄って「151系」は製造されたのでした。
またその内装も、特急と呼ばれるに相応しい、当時として革新的かつ
画期的なものが揃えられました。
照明は蛍光灯によって、当時の国鉄の車内のおよそ5倍ほどにもなる
550ルクスの明るさを実現。現在では当たり前についている全車での
冷房完備も当時としては驚きの快適さとして迎えられました。
他にも車内電話やビュッフェにおける松下製のエアタオル、
東芝製の電気湯燗器、電気冷蔵庫や電気コンロといった電化製品も
151系で初めて電車で採用されました。


左:ビュッフェ 右:食堂車厨房
そして何より、空気抵抗の低減と騒音対策の含んだ151系の代名詞となる
先頭車両の前頭部を流線形のボンネット型と、クリーム色に赤色の塗装が
施された車両は、バランスの取れたスビード感あふれるデザインを確立。
「先進国に負けない設備と性能を持つ特急電車を造る」という151系を開発する
上で技術者たちが目指した設計コンセプトに適う列車が出来上がったのでした。
勿論、こうした流れは6年後に運行が始まる新幹線計画に資するためもあったわけ
ですが、もう1つには国鉄内部の電車反対論者の存在も大きかったと思われます。
当時の国鉄では蒸気を含めた機関車に携わる職員が多く、電車の存在自体が
軽く見られていました。
それが実績も無いにも係わらず機関車を差し置いて、いきなり東海道本線の
花形列車にと話が持ち上がったわけですから、蒸気機関車組の職員とすれば
面白いはずがありません。
「151系こだま」の誕生は、同じ身内であるはずの反対論者に抗いつつの
プロジェクトでもあったのです。
余談ながら、こうした反対論者に隙を与えない対処の1例が、異例ともいえる
営業スケジュールに見て取れました。
「151系こだま」の営業開始は11月1日となっていますが、実はその一か月前の
10月にダイヤ改正が行われており、本来はそのダイヤ改正に合わせて
「こだま」は営業開始となるはずでした。
しかし、それでは乗務関係者の訓練期間が取れないばかりか、初期トラブルの
対応を行うことも儘ならないという事で、営業利益に目を瞑ってでも一か月間
という猶予を確保したのでした。
実際、初期トラブルは多発し、10月からスタートした試運転時には、走行中に
パンタグラフが吹っ飛んでしまう事故も発生。もし、10月のダイヤ改正に合わせて
営業運転を始めていたとしたら、「こだま」のその後の評価にまで影響を与えたで
あろうことは想像に難くありません。
こうして最新技術の導入と改良、国鉄内部の反対論者の思惑を巧みに
かわしながら、「151系こだま」は成功への第一歩を踏み出したのでした。
~その後、「151系」に突き付けられた課題~
人々の人気だけではなく、乗車実績でも申し分のない活躍をみせた
「151系」でしたが、電化路線の延伸にともなって、力不足を露呈する
機会が出てきました。
例えば、山陽本線の広島-岡山間にある瀬野八。この急勾配は補機が
なければ「151系つばめ」は登ることが出来ず、EF61が補機として牽引
する事に。ちなみに補機が必要のない下りと、補機を要する上りとでは
所要時間に約40分もの時間差が生じてしまいました。
評定速度で計算すると約15km/hもの差です。
また、関門海峡から西の交流区間の九州地方での運用では、直流仕様の
「151系」は自走できず、交流機関車が「151系つばめ」を牽引しました。
こちらも門司-博多間までの表定速度を計算すると、およそ66km/hとなり、
高速特急と呼ぶにはいささか腑に落ちない運用とならざるを得ない状況でした。
尚、東京-大阪間を6時間30分で走破した時の表定速度は85.6km/hと
なっており、その表定速度差は約20km/hにもなります。

サヤ420を挟んで151系「つばめ」を牽引するED73
東海道新幹線の登場、そして東海道本線以外では本来の実力を
発揮できない151系電車は、存在の意義そのものを問われる事と
なったのです。
様々な困難を乗り越えて鮮烈なデビューを果たし、東海道本線にて
活躍した「151系こだま」は、昭和39年10月東海道新幹線開業により
惜しまれつつも引退。その栄光は実に6年という短さでした。
しかし、151系で培われた多くの技術と、そのスタイルは確かな一時代を
築き上げ、後の181系や485系電車へとつながる礎を鉄道史に残し、
当時の人々だけでなく、今なお愛される列車となっています。

「151系 こだま・つばめ 基本8両セット 」 4,400円
品番:TM-KN148
「151系 こだま・つばめ 増結4両セット」 3,520円
品番:TM-KN149
(※上記販売価格は2021年7月時点のものです)
「151系こだま・つばめ」メイクアップシール基本&増結セット
好評発売中!
category: 151系こだま・つばめ