20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と苦節~part3
前々回ブログの「20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と
苦節~part2」の続きです。
~九州寝台特急の終焉とEF66~
本記事のテーマは冒頭でも述べた通り、寝台特急の黄金時代を
支えた20系寝台「あさかぜ」を牽引した電気機関車である。
その物語りはEF65-500で終わりなのだが、最後に「あさかぜ」を
始めとした九州寝台特急の終焉に立ち会ったEF66について
紹介したい。

1985年(昭和60年)、東京-下関間の牽引機がEF66に換装
された。理由は寝台客車の重量の増大にある。
20系客車は15両でおよそ480tだったが、24系25型では
約70tほど重量が増えることに。更には、「はやぶさ」に
連結されたロビーカーでは牽引定数が殊更に増えてしまい、
EF65では明らかに力不足であった。
また、EF65の経年劣化と、連日に亘る長距離走行による
損耗は隠すべくもない状況であったことも事実である。
ちょうどこの時期、貨物輸送が減少していた事からEF66の
運用に余剰が発生していた。EF66は客車牽引に必要となる
パワーに関しては折り紙付きの牽引機である。
こうしてEF66は1985年(昭和60年)から、九州寝台特急の
牽引の任を一手に引き受けたのだった。
ちなみに、「あさかぜ」「さくら」の運行終了は2005年
(平成17年)であり、最後の九州寝台「富士」「はやぶさ」も
2009年(平成21年)にその役目を終えた。


EF66も各種メーカーから模型化されてきた車両である。
これまでの車両と比べてみると、顔(車体)が縦長になっている
印象を受ける。運用自体はEF65を引き継いでいるので、
寝台特急、高速貨物のどちらの編成再現でも活躍してくれる。
EF66の元々の開発目的は高速貨物輸送であった事もあり、
EF65のようにP・Fというような車両毎による運用担当に違いは
ない。国鉄民営化後の1980年代後半から2000年代の寝台
特急を模型で再現する場合、お世話になるマンモス機関車だ。
~あさかぜ牽引機その栄光と苦節、おわりに~
いったい鉄道ファン、今風に言うところの
「鉄っちゃん」は、いつの時代からいたのだろうか。
本稿で主に語ってきた昭和30年代頃、鉄道ファンは
“鉄道マニア”と呼ばれ、一部熱烈なの愛好家の世界だった。
ただ、商業誌では現在でも刊行が続く「鉄道ピクトリアル」
(電気車研究会)が1951年(昭和26年)に創刊され、1961年
(昭和36年)には「鉄道ファン」(交友社)も登場した。
こうしたところから、一部の愛好家の世界だった鉄道ファンの
裾野が確実に広がり出した時代だったと推測できる。
そして、新しい鉄道ファン拡大の立役者となったのは、
1958年(昭和33年)、日本の鉄道史を語る上で欠かすことの
できない151系電車と、のちに「ブルートレイン」と呼ばれる
ことになる20系寝台特急「あさかぜ」であったのは間違いない。
鉄道ファンの市民権獲得の礎にも、その栄光の足跡を見ることが
出来るのではないだろうか。

実は11年ほど前のブログで、「20系ブルトレ牽引機の変遷」と
題し、当店のオリジナル商品の紹介と併せ、東海道筋で
20系寝台客車を牽引した機関車についての記事を書いた。
実際に活躍した機関車については、どれくらい掘り下げて
詳細を記すべきかいつも悩むのだが、今回はその記事も念頭に、
大幅に加筆した内容となった。
さて、最後に本ブログ執筆の理由でもある新製品
メイクアップシール「20系寝台特急あさかぜ(初期編成)」
そして、今回のブログで登場した客車編成対応のメイク
アップシールラインナップをご紹介。
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「20系 寝台特急 あさかぜ 基本8両セット」4,620円
(品番:TM-KN018)
「20系 寝台特急 あさかぜ 増結7両セット」4,180円
(品番:TM-KN019)
「20系 あさかぜ カーテン・ブラインド 15両セット」1,980円
(品番:TM-KN020)
(※上記販売価格は、2022年7月時点のものです)
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「20系 寝台特急 あさかぜ(初期編成)基本8両セット」4,620円
(品番:TM-KN154)
「20系 寝台特急 あさかぜ(初期編成)増結7両セット」4,400円
(品番:TM-KN155)
「20系 寝台特急 あさかぜ(初期編成)カーテン・ブラインド 15両」1,980円
(品番:TM-KN156)
(※上記販売価格は、2022年7月時点のものです)
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~番外編:EF58青大将が牽く「20系さくら」~
1956年(昭和31年)、東海道本線に投入された特急「つばめ」、
特急「はと」の牽引機用として淡緑色に塗装されたEF58が製造。
されたこのカラーリングが施されたEF58はその見た目から
青大将と呼ばれることに。

ブルトレの方では「あさかぜ」に続き、1957年(昭和32年)に
寝台特急「さくら」が運行を開始。この「さくら」の牽引に、
「つばめ」「はと」牽引用に製造された青大将塗装のEF58が
投入されるケースがみられた。
尚、青大将塗装が施されたEF58車両は全部で25両。それらの
機関車は東京機関区と宮原機関区にそれぞれ席を置いていた。


ブルトレの1つの定義に従って言えば、淡緑色のEF58が
牽引した場合、それはブルトレではないような気もする。
しかし、今から思うと何とも贅沢な編成だったと言わざるを
得ないというのも正直な気持ちだ。
ちなみに当時としてもインパクトがあったのか、1960年頃に
出版された絵本の表紙などでは、この時のEF58青大将が牽引
する20系「さくら」の絵が描かれたりもした。
特急「つばめ」「はと」だけではなく、寝台特急「20系さくら」の
編成再現にも活躍した青大将のEF58。「あさかぜ」ではないものの、
EF58繋がりという事で、番外編として追記した。
もちろん「20系さくら」用メイクアップシールも好評発売中!
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「20系 さくら 7両セット」3,960円
(品番:TM-KN014)
「20系 さくら カーテン・ブラインド 7両セット」1,540円
(品番:TM-KN015)
(※上記販売価格は、2022年7月時点のものです)
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「20系 寝台特急 さくら(長崎・佐世保) 16両セット」 5,280円
(品番:TM-KN016)
「20系 さくら 長崎・佐世保 カーテン・ブラインド 16両セット」1,980円
(品番:TM-KN017)
(※上記販売価格は、2022年7月時点のものです)
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category: 鉄道模型
20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と苦節~part2
前回ブログの「20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と
苦節~part1」の続きです。
~山陽の難所、瀬野八の強力な助っ人EF59~
EF59は1963年(昭和38年)に高崎機関区と東京機関区のEF53、
次いで宇都宮機関区のEF56をそれぞれ改造して誕生した。
その目的は山陽本線の難所である瀬野~八本松間の勾配区間を
補助する事にあった。瀬野-八本松間は10.5kmの区間は、
22.6パーミルの勾配が続く。
もともとの計画ではこの区間に、最高速度85km/h以下という
高速性能よりも牽引力を重視した機関車の投入が予定されていた。
しかし広島駅で補機を連結し、広島-瀬野間を90km/hで特急列車を
運転する事となり、それに対応させる為に製造されたのが本機である。

EF53から改造されたEF59

EF56から改造されたEF59
重量のある貨物列車だけでなく、14両もの20系寝台客車を
牽引するに至っては、EF58、続くEF61でも出力不足となるため、
EF59の補助が必要となっていた。
尚、EF59は列車の後方に連結される補機ではあるが、レアな
ケースとして事故の影響から、20系「あさかぜ」を先頭に立って
牽引した時の映像も残されている。
当時の8mmビデオなので詳しい経緯は不明だが、瀬野駅を
通過する岡山から広島への下り「あさかぜ」だと思われる。
本記事は「あさかぜ」の牽引機関車について述べているが、
上記の映像発見もあって、急遽ピンチヒッターを務めた
実績ありという事でEF59についてもまとめる事とした。


さて、EF59の外観については冒頭でも述べた通り、ベースとなった
EF53とEF56の違いによって、2タイプのスタイルが併存する事となった。
EF53をベースにした方は、パンタが屋根上両側に配置されている。
それに対しEF56を改良した車両はパンタが中央に寄った外観と
なっており、そうした違いもEF59の魅力となっている。
また、他の電気機関車と比べると、車体両側にデッキが設けられて
いる分だけ車両が長くなっており、特に2エンド側に警戒色塗装が
施されているのも見逃せない。


EF59は鉄道模型に於いても瀬野八越えを再現する場合、
欠かすことの出来ない模型である。
EF59が連結されていれば、それは瀬野八であることを意味する。
後補機の役目を果たした後は2両、4両(場合によっては6両)と
EF59を連結して瀬野に戻ってきた。そうした編成を再現して
みるのも、また楽しい模型だ。
~不遇の牽引機EF60-500~
EF60は1960年(昭和35年)に平坦路線向けの車両として開発された
電気機関車である。そして、1963年(昭和38年)から1964年(昭和39年)、
20系客車「あさかぜ」を牽引していたEF58形の置換え用として
製造された車両グループが、EF60の500番台グループなのである。
EF60は従来の貨物列車用の機関車とほぼ同等の出力を
持ちつつ、小型軽量の機関車として開発されたのだが、
この設計構造が後々の不運へと繋がっていくこととなる。

昭和30年代の後半、国鉄では輸送力強化のため相次ぐ
増強を実施。その結果、運行ダイヤはもはや限界の域に
達していた。これ以上の増発が無理ならば、連結する車両を
増やす事で定員数も確保するしかない。
そこで「あさかぜ」では、13両の牽引が限度であったEF58を
EF60-500へと置き換える事で、15両もの長編成「あさかぜ」を
実現する事に。
また、EF58単機ではセノハチの勾配を登坂する事が出来ず、
後部補機を必要としていた。このネックを解消できることも
EF60-500置き換えのメリットであった。
しかし、EF60自体は一般の貨物列車牽引を目的として設計されて
いた為、高速運転でのロングラン走行はそもそも無理であった。
実際、過重な負荷に耐えられず主電動機が故障する事態が多発。
1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)までの2年あまりで、
「あさかぜ」牽引の座を追われることとなった。
しかし、腑に落ちないのは、なぜ貨物用設計のEF60を「あさかぜ」
牽引に採用してしまったのかという事だ。技術者や設計者ならば、
予めこの結果が予見できそうなものだが。
もしかしたら、技術部はこの問題を指摘したにも関わらず、
上層部の甘い経営判断や運用などの諸事情などから、
強引にEF60-500導入を推し進めた可能性も考えられる。
筆者の知る限り、当時の国鉄内部の判断や関係者の話が伝わって
いないので安易なことは言えないが、「あさかぜ」牽引を次の
EF65に譲ってのち、EF65不足の事態に陥っても本機EF60-500
ではなく、先代のEF58が寝台特急牽引に再登板するに至っては、
まさに不運の機関車と言うほかない。


国鉄の直流電気機関車の標準的なスタイルといえばEF60だ。
「あさかぜ」牽引では不遇であったものの一般貨物の牽引に
於いては広く活躍した。
また、1970年代後半からは中央本線・高崎線・両毛線などに
投入されたので、関東圏でもその姿を見られた。
模型では特急色のほか、以前は一般色、茶色、やすらぎ色などが
販売されてきた。Nゲージのレイアウト走行では主電動機の
トラブルなど関係なし。EF60は貨物列車を編成する場合のマスト
アイテムなのである。
~そして、栄光のEF65-500~
今回取り上げた20系寝台「あさかぜ」牽引の最後の栄誉に
浴したのがEF65-500である。20系客車だけではなく、この
EF65-500もまた直流用電気機関車の名機と呼ばれる存在だ。
EF65-500はまず、1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)に
17両が製造。1968年(昭和43年)には基本番台から改造された
車両も追加された。

先述の通り、「あさかぜ」牽引のEF60-500は長距離の高速運転に
難があった。また、この時期、軌道の強化により寝台特急の速度
向上案が浮上。しかし速度アップ時に必要となるAREBブレーキを
EF60-500が搭載していない事なども重なり、EF65-500が誕生する
こととなった。
EF65-500が20系「あさかぜ」の牽引を開始したのは、製造年と
同じ1965年(昭和40年)からだが、3年後のヨンサントオと
言われる1968年(昭和43年)10月1日のダイヤ改正後、
20系特急の最高速度が110km/hに引き上げられている。
時は進み、この間EF65-500は20系寝台「あさかぜ」を始め、
寝台特急の牽引機として活躍を続けた。
しかし、20系寝台の方に置き換えの時期が迫っていた。
1972年(昭和47年)、東京-博多間の「あさかぜ」で14系客車
への置き換えが実施された。
さらに6年後、いよいよ20系ブルトレの元祖「あさかぜ」も
姿を消す時がやってきた。
1978年(昭和53年)1月31日、最後まで残っていた20系客車
編成の「あさかぜ」も24系25形の寝台客車へ置き換えられ、
ここに1958年(昭和33年)から日本の寝台特急の一黄金時代を
築いた20系寝台「あさかぜ」の幕は下りたのだった。
尚、栄光の20系寝台「あさかぜ」の最後まで牽引の重責を
果たしたEF65-500も連日にわたる高速での1,000km輸送による
老朽化は避けられず、寝台特急牽引の役目を同系列の
EF65-1000に道を譲ったのは、この年の秋のことであった。


国鉄時代の直流用の電気機関車は数あれど、模型で人気が
高いのはEF58か、このEF65なのではないか。
EF58と同様にEF65も製造分類にあわせ、0番台、500番台P形、
500番台F形、1000番台などが販売されてきた。
東京発の寝台はもちろん、大阪発の寝台特急も牽引し、
当然の如く高速貨物列車の運用でも活躍。
国内の主要な直流区間で大車輪の働きぶりをみせた。
特急寝台を再現する場合、無くてはならない模型である。
つづく
category: 鉄道模型
20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と苦節~part1
~序・国鉄黄金時代の幕開け~
1958年(昭和33年)、この年は日本の鉄道史のなかでも
燦然と輝く2つの新製車両がデビューした年だった。

その1つが10月1日に登場した特急「あさかぜ」用の
新製車両、20系客車。そしてもう1つが、11月1日に
運行を開始した新製長距離高速電車「特急こだま号」、
151系電車だ(奇しくもこの151系も当初の制式名称は
20系電車だった)。
クリーム色をベースに赤いラインを纏い、電車による
高速運転を実現させた151系電車と、ブルー地にクリーム
色のラインが落ち着いた印象の20系寝台。
戦後初の寝台特急に投入されて東京と九州を結んだ。
昼行の151系と夜行寝台の20系客車。昼夜それぞれで、
増大する旅客輸送に見事に応えたのだ。
長距離区間を速く、そして快適に。1958年はまさに
新たな鉄道の時代の幕開けを告げた年だったのである。
これまで富塚通信ではメイクアップシールの製作に合わせ、
151系電車と20系客車については度々ブログで実車に
ついての記事を書いてきたが、牽引機の方にはあまり
触れてこなかった。
しかし、20系客車には当然牽引機が必要となり、その花形寝台
「あさかぜ」の牽引機にも当然多くの注目が集まった。
そこで今回は、東海道筋を中心に20系寝台「あさかぜ」を牽引した
機関車について、3回に分けてブログにまとめる事にした。

~その運用実績から白羽の矢が、EF58~
20系客車が「あさかぜ」に投入されたのは、1958年(昭和33年)
からなのだが、夜行特急「あさかぜ」自体の運行開始は2年前の
1956年(昭和31年)11月19日のことだった。
その時から「あさかぜ」の牽引はEF58が務めていた。

「あさかぜ」投入から遡ること7年、1951年(昭和26年)に
日米講和条約が締結された。
これによりドッジラインで凍結されていたEF58の製造が
再開されることになったのだが、その際に今後の運用
方法を考慮してEF58の車体設計の見直しを行う事に。
また、講和条約によりGHQから目を付けられたていた
ベアリング産業なども足かせが無くなり、無事EF58に
国産のローラーベアリングを採用することが可能となった。
こうして半流線型と言うべきスマートな姿として改良型の
EF58が誕生した。この改良型は初期型と比較しても
様々な変更点があるが、特筆するとすればSG(蒸気発生
装置)の搭載は客車牽引を担う上で重要な改良だった。
尚、改良型のEF58は1952年(昭和27年)から、20系寝台特急
「あさかぜ」が運行を開始した1958年(昭和33年)にかけて
175両もの車両が製造された。製造計画でみると、なんと
13回にも及び増備車が造られていたことになる。
これは当時の全国的な電化路線の延伸とそれに伴い、連続した
長距離走行が可能且つ、高速性能を持つ電気機関車を多く
必要としていたことに因る。
身も蓋もない言い方をすれば、20系寝台「あさかぜ」を牽引
できる電気機関車が他に無かったとも言える。
しかし、当時の時代背景や国鉄の事情があったとはいえ、
20系寝台に置き換えられた「あさかぜ」牽引のトップバッターを
任じられたのはその実績があればこそであり、結果的にみれば
時代の必然でもあった。
余談ではあるが、寝台特急の牽引の主役がEF65-500の時代。
大阪発の夜行寝台が増発された際、EF65が不足する事態に陥った。
その時、EF58が再登板に指名され、一時寝台特急の牽引に
復活する事となった。このことからも如何にEF58が信頼に足る
機関車であったか察することが出来る。
EF58は1963年(昭和38年)に「あさかぜ」牽引の栄誉を
次のEF60-500番台へと譲った。


EF58は装備や運用の違いから、塗装はもちろん形状や
スタイルに様々なバリエーションが存在する。鉄道模型でも、
各メーカーから多くのEF58がリリースされてきた。
寝台特急「あさかぜ」はもちろん、当時の国内で運行されていた
多くの旅客輸送の主力として活躍を続けたEF58。
初期型のEF58が登場したのは1946年(昭和21年)であり、
所謂、新型の直流標準機が世に出たのはそれから10年以上も
後のことである。当然、車両の形状は新型電気機関車と比べると
時代的な新しさには欠けるのは事実だ。しかし、その独特な
フォルムにはある種の風格が漂っており、“ゴハチ”ファンを
惹きつけてやまないのである。
その期間も1960年から1970年代と長期にわたっており、
国鉄時代の列車を再現する場合、ぜひとも何両かは揃えて
おきたい模型の1つだ。
~短いながらも予備機として活躍をみせたEF61~
20系寝台「あさかぜ」牽引機を大きな流れでみるとEF58の
次はEF60-500となる。しかし、後述となるがEF60は貨物牽引を
重視した設計のため、長距離の高速運転に大きな問題を
抱えていた。また旅客列車用SG(蒸気発生装置)やEG(電気
暖房装置)といった装備なかった。
そこで既に製造が終了していたEF58の後継機として旅客用
設計のもと、1961年(昭和36年)から製造されたのがEF61である。

1962年(昭和37年)、試験運用も兼ねてなのか、上り限定でEF58の
予備機として20系寝台「あさかぜ」の先頭を務めることもあった。
本形式は1961年(昭和36年)製造だが、その前年に国鉄は
動力近代化計画を発表。これからの旅客輸送は電車か
ディーゼルを中心に据えるというもので、その影響もあって
EF61は18両の製造に留まってしまった。
やはりこうした状況下では大量に製造してEF58の後継機としての
ポジションを獲得することは出来なかっただろう。
翌1963年(昭和38年)のEF60-500登場以降、「あさかぜ」牽引に
戻ることはなかったが、山陽本線の貨物輸送ではEF58との重連などで
活躍。SG装置を搭載した関係からEF60よりもボディが長くなっており、
そのスマートな印象から実はファンも多かったりする。


製造数も少ない上に、主に活躍したのが山陽本線と東海道である
という事もあり、少しばかりマイナーな車両ではあるが、「あさかぜ」
牽引だけではなく、急行・普通列車や貨物の牽引もこなした。
1960年代の岡山-広島から下関あたりの列車を鉄道模型で編成する
場合、幅広く活躍してくれる。今年(2022年)4月にKATOからEF61と
初期塗装のEF61(茶)が発売された。
郵便・荷物車編成を再現するもよし、20系「あさかぜ」を牽引させるも
また良し。新型の直流標準機スタイルを楽しむことができる。
つづく
1958年(昭和33年)、この年は日本の鉄道史のなかでも
燦然と輝く2つの新製車両がデビューした年だった。

その1つが10月1日に登場した特急「あさかぜ」用の
新製車両、20系客車。そしてもう1つが、11月1日に
運行を開始した新製長距離高速電車「特急こだま号」、
151系電車だ(奇しくもこの151系も当初の制式名称は
20系電車だった)。
クリーム色をベースに赤いラインを纏い、電車による
高速運転を実現させた151系電車と、ブルー地にクリーム
色のラインが落ち着いた印象の20系寝台。
戦後初の寝台特急に投入されて東京と九州を結んだ。
昼行の151系と夜行寝台の20系客車。昼夜それぞれで、
増大する旅客輸送に見事に応えたのだ。
長距離区間を速く、そして快適に。1958年はまさに
新たな鉄道の時代の幕開けを告げた年だったのである。
これまで富塚通信ではメイクアップシールの製作に合わせ、
151系電車と20系客車については度々ブログで実車に
ついての記事を書いてきたが、牽引機の方にはあまり
触れてこなかった。
しかし、20系客車には当然牽引機が必要となり、その花形寝台
「あさかぜ」の牽引機にも当然多くの注目が集まった。
そこで今回は、東海道筋を中心に20系寝台「あさかぜ」を牽引した
機関車について、3回に分けてブログにまとめる事にした。

~その運用実績から白羽の矢が、EF58~
20系客車が「あさかぜ」に投入されたのは、1958年(昭和33年)
からなのだが、夜行特急「あさかぜ」自体の運行開始は2年前の
1956年(昭和31年)11月19日のことだった。
その時から「あさかぜ」の牽引はEF58が務めていた。

「あさかぜ」投入から遡ること7年、1951年(昭和26年)に
日米講和条約が締結された。
これによりドッジラインで凍結されていたEF58の製造が
再開されることになったのだが、その際に今後の運用
方法を考慮してEF58の車体設計の見直しを行う事に。
また、講和条約によりGHQから目を付けられたていた
ベアリング産業なども足かせが無くなり、無事EF58に
国産のローラーベアリングを採用することが可能となった。
こうして半流線型と言うべきスマートな姿として改良型の
EF58が誕生した。この改良型は初期型と比較しても
様々な変更点があるが、特筆するとすればSG(蒸気発生
装置)の搭載は客車牽引を担う上で重要な改良だった。
尚、改良型のEF58は1952年(昭和27年)から、20系寝台特急
「あさかぜ」が運行を開始した1958年(昭和33年)にかけて
175両もの車両が製造された。製造計画でみると、なんと
13回にも及び増備車が造られていたことになる。
これは当時の全国的な電化路線の延伸とそれに伴い、連続した
長距離走行が可能且つ、高速性能を持つ電気機関車を多く
必要としていたことに因る。
身も蓋もない言い方をすれば、20系寝台「あさかぜ」を牽引
できる電気機関車が他に無かったとも言える。
しかし、当時の時代背景や国鉄の事情があったとはいえ、
20系寝台に置き換えられた「あさかぜ」牽引のトップバッターを
任じられたのはその実績があればこそであり、結果的にみれば
時代の必然でもあった。
余談ではあるが、寝台特急の牽引の主役がEF65-500の時代。
大阪発の夜行寝台が増発された際、EF65が不足する事態に陥った。
その時、EF58が再登板に指名され、一時寝台特急の牽引に
復活する事となった。このことからも如何にEF58が信頼に足る
機関車であったか察することが出来る。
EF58は1963年(昭和38年)に「あさかぜ」牽引の栄誉を
次のEF60-500番台へと譲った。


EF58は装備や運用の違いから、塗装はもちろん形状や
スタイルに様々なバリエーションが存在する。鉄道模型でも、
各メーカーから多くのEF58がリリースされてきた。
寝台特急「あさかぜ」はもちろん、当時の国内で運行されていた
多くの旅客輸送の主力として活躍を続けたEF58。
初期型のEF58が登場したのは1946年(昭和21年)であり、
所謂、新型の直流標準機が世に出たのはそれから10年以上も
後のことである。当然、車両の形状は新型電気機関車と比べると
時代的な新しさには欠けるのは事実だ。しかし、その独特な
フォルムにはある種の風格が漂っており、“ゴハチ”ファンを
惹きつけてやまないのである。
その期間も1960年から1970年代と長期にわたっており、
国鉄時代の列車を再現する場合、ぜひとも何両かは揃えて
おきたい模型の1つだ。
~短いながらも予備機として活躍をみせたEF61~
20系寝台「あさかぜ」牽引機を大きな流れでみるとEF58の
次はEF60-500となる。しかし、後述となるがEF60は貨物牽引を
重視した設計のため、長距離の高速運転に大きな問題を
抱えていた。また旅客列車用SG(蒸気発生装置)やEG(電気
暖房装置)といった装備なかった。
そこで既に製造が終了していたEF58の後継機として旅客用
設計のもと、1961年(昭和36年)から製造されたのがEF61である。

1962年(昭和37年)、試験運用も兼ねてなのか、上り限定でEF58の
予備機として20系寝台「あさかぜ」の先頭を務めることもあった。
本形式は1961年(昭和36年)製造だが、その前年に国鉄は
動力近代化計画を発表。これからの旅客輸送は電車か
ディーゼルを中心に据えるというもので、その影響もあって
EF61は18両の製造に留まってしまった。
やはりこうした状況下では大量に製造してEF58の後継機としての
ポジションを獲得することは出来なかっただろう。
翌1963年(昭和38年)のEF60-500登場以降、「あさかぜ」牽引に
戻ることはなかったが、山陽本線の貨物輸送ではEF58との重連などで
活躍。SG装置を搭載した関係からEF60よりもボディが長くなっており、
そのスマートな印象から実はファンも多かったりする。


製造数も少ない上に、主に活躍したのが山陽本線と東海道である
という事もあり、少しばかりマイナーな車両ではあるが、「あさかぜ」
牽引だけではなく、急行・普通列車や貨物の牽引もこなした。
1960年代の岡山-広島から下関あたりの列車を鉄道模型で編成する
場合、幅広く活躍してくれる。今年(2022年)4月にKATOからEF61と
初期塗装のEF61(茶)が発売された。
郵便・荷物車編成を再現するもよし、20系「あさかぜ」を牽引させるも
また良し。新型の直流標準機スタイルを楽しむことができる。
つづく
category: 鉄道模型
動画撮影再開と室内灯点灯問題のその後
車両にセットした室内灯の点灯問題を何とか解決した
製作室では、動画撮影を無事に再開。

ジオラマでの撮影風景
渓谷を流れる川に沿って走る鉄道橋のジオラマ。
単線の上を走っているのは国鉄色の381系電車です。
ちなみに上の撮影風景の写真では少し分かり難いですが、
画面の中央あたりに黒いコードが伸びています。
その接続先がこちら。

テレビ画面を見ながら撮影
テレビです。ビデオカメラとテレビをHDMIケーブルで
繋ぐと、テレビ画面を見ながら撮影画像を確認する事が
出来ます。
今回はある路線の歴史に沿った内容で作品を構成して
おり、撮影車両も多くなっています。その為撮影時間が
必要ですが、ぜひ新作動画をご期待いただければと
思います。
さて、ここからは前回掲載した室内灯点灯トラブルの
その後の経緯と補足をお届けしていきます。
前回の富塚通信では、車輪の汚れにより室内灯が
点灯しない問題に直面。
たまたま目に留まった激落ちくんを使ってみると、
室内灯が見事点灯したところまでご紹介しました。
しかし胸を撫で下したのも束の間、今度はジオラマ
走行時のチラつき問題にぶつかることに!
車両を動かさない写真撮影であれば、室内灯が点灯して
いれば問題ありません。
ですが車両が走る動画撮影の場合、走行時のチラつきは
絶対に抑えなければなりません。
そこで急遽サビ取り剤を使って車輪の洗浄を行うことに
したのですが、間の悪いことに、これまで使っていた
サビ取り剤が直ぐに入手出来ないことが判明。
取り合えず、直ぐに購入できるサビ取りクリーナーを
用意して車輪の洗浄を行ってみました。

車輪をクリーナー液にどぼん(ちょっと浸け過ぎかも…)
車軸をクリーナー液にしばらく浸し、布切れで1つ1つ
磨いていきます。それなりに数があるので磨くだけで
1時間くらい掛かりました。

クリーナー液で磨いた車輪
上写真の左側の2つは比較的綺麗になった車輪。
右側の2つは一部にもともとの黒染めが残った車輪です。
今回使用したサビ取り剤では多くの車輪で、黒染が
中途半端な形で残る結果に。
取り合えずは、この状態の車輪を台車に戻し、
再び車両を走行させてみたところ、チラつきは
確かに低減されていました。
けれども、チラつきが気にならないというレベルでの
効果は得られません。そこで今度はサビ取りした車輪を
1000番の耐水ペーパーでしっかりとやすってみましたが、
それでも完璧に走行時のチラつきを解消するには至り
ませんでした。
尚、下の画像は同じく走行時のチラつき問題を起こして
いた、別模型の銀ピカ車輪を同様にサビ取り剤で洗浄
したものです。

洗浄した幾つかの車輪は光沢感を取り戻すことなく、
画像の左車輪のようにいくら磨いてもくすんだままの
劣化車輪になっていました。この車輪を使っても勿論
チラつきは改善されません。
また、サビ取り剤での清掃が必要なほど走り込んだ
車輪というのは思いのほか傷んでおり、やすった
くらいで修繕する事はほぼ困難です。

KATO11-611中空軸車輪(スナップ式台車用・黒)<車軸短>
今回、室内灯の不点灯及び、走行時のチラつき問題に
あたって、車輪のサビ取り洗浄とやすり掛けを行って
みましたが、サビ取り剤のコストに実際の作業に要する
手間や時間、そしてその結果を考えると、メーカーから
販売されている車両アクセサリーを購入の上、車輪を
交換してしまった方がはるかに楽ちんで確実です。
今更ながらの内容ですが、鉄道模型の室内灯が点かない、
或いは走行時のチラつきトラブルというのは、どれだけ
メンテナンスを行っていてもいずれは遭遇する問題です。
今回の体験を踏まえ、ぜひ皆様には車輪のストックを
お勧めいたします。
最後にお知らせです。
製作室では動画撮影と同時進行で、新製品メイクアップ
シールの製作に着手します。
対象車両はKATOからリリースされた新製品です。
詳細については製品化が固まってから随時ご案内して
いきますので、メイクアップシールについても
どうぞご期待下さい。
category: 鉄道模型
荷物車・郵便車再考
車両称号「二」や「ユ」が付された客車。そう、荷物車や郵便車です。
これらの車両は、普段鉄道を利用する分にはほとんど意識することは
ありませんが、模型で列車編成を再現する場合、見過ごしてはならない
鉄道の興味深いファクターが満載なのです。今回はそんな荷物車編成に
ついて少しばかり紹介したいと思います。

「チッキ」
昔懐かしい響きを持つこの言葉。今の若い年代の方は何のことかさっぱり分からない
かもしれません。
チッキとは直訳すれば手荷物。広義の意味合いでは鉄道を使った荷物輸送の事を
こう呼んでいました。いつの頃からか、人の口からこの言葉を聞くことが全くなくなって
しまいましが、昔は荷物を送りたい場合、駅の小荷物窓口に荷物を持って行って、
小荷物専用の切符(この切符=預り証がチッキの語源であるとかないとか…)をもらい、
送られた方も荷物の届く駅まで荷物を取りに行くというスタイルが当たり前でした。
昨今の運輸業者による物流網の発展とサービス面での向上からすると、信じられない
くらい利便性が悪いものではありましたが、当時は遠方に荷物が送れるというだけで
十分満足できるものであり、その当時はそれが当たり前だったので別段不満という
ものもありませんでした。
さて、そんな荷物輸送に使用されている車両に話を移していきましょう。
まず、荷物車に興味を持った方が不思議に思うこと。それは荷物であるのに、荷物車の
営業上の取り扱いが人を運送する「旅客車」扱いであるという事ではないでしょうか。
そもそも鉄道車両には「貨車」という立派な1ジャンルがあるにも関わらず、
「貨物車」と同類であると思われる「荷物車」が旅客車扱いであるという不思議。
理由は「列車に乗車する人の手荷物を運ぶ為の車両を連結して運用していたこと」が
そもそもの始まりだった事に起因しているのですが、この理由付けが当を得ている
かどうかは別にして、日本の手荷物輸送の歴史の長さを感じるのは筆者だけではないはず。
そんな長い日本の「荷物車」のスタイルは、時代や路線により大きく分けて3つの
スタイルに分類できます。

EF62牽引 妙高編成
まず1つめが、荷物車の黎明期から最盛期にかけて運用されていた所謂旧型客車と呼ばれる
グループです。この中には、古くなった旅客用の客車を荷物車に改造した車両も含まれます。
そのため、一見似てはいるものの形状の異なる車両も多く、荷物車ファンにとって荷物車
編成を再現するといった場合、基本的にはこの旧型客車を揃えることになります。
代表的な車両はマニを筆頭としたグループです。

EF58重連での牽引を再現
1970年代。鉄道による荷物輸送が活況だった頃は、15両もの荷物車が連結されEF58による
重連で牽引する姿を東京で見ることもできました。今となってはまさに貴重な鉄道財産と
呼べるものでしょう。
上記の画像はKATOとTOMIXのゴハチをあえて使って、往時の度迫力重連シーンに挑戦して
みたものです。荷物列車ファンにとっては、是非ともEF58重連で長大編成を再現して
走らせてみたいという方は多いのではないでしょうか。

気動車キハユニ26
2つ目のグループは、クモニに代表される電車タイプの荷物車です。このグループは電車でも
あることから113系、115系や165系などの旅客電車に併結されて運用されることも多々あり
ました。当然、第1グループのようにこの荷物車だけで編成を組むなどという事はありません
でした。今回のブログでは触れませんが、気動車の荷物車というものもあり、強いていえば
この第2グループに含められると思います。

EF65牽引 あさかぜ編成
最後の第3グループは、ブルートレインで活躍していた「電源車カニ」タイプの荷物車です。
文字通りカニの後位側を荷物スペースに割り当てたグループで、系列等の違いで室内面積が
異なります。因みに現在はすべて廃止されてしまいましたが国鉄民営化後「ブルートレイン便」
なる荷物サービスがJRによって行われていました。

EF510牽引 北斗星編成
実のところ「ブルートレイン便」なるサービスがあったのを知ったのは、本記事を書くにあたり
荷物車のことを確認している最中に知ったばかりなので、詳しいことは殆ど存じ上げません。
ただ、上野駅にブルートレイン便の受付窓口があった事と、JR西日本で最後のブルートレイン
便は「日本海」が、JR東日本では「北斗星」と「あけぼの」が最後のブルートレイン便の任に
当たっており、2010年にサービスが廃止されたということだけを知ることが出来ました。
この様に車両のスタイルから荷物車を独断で3つのグループに分けてみましたが、鉄道の
荷物輸送だけをみてみれば、最後のブルートレイン便の経緯が示しているように、1960年代に
記録した取り扱い数をピークにして、年々取り扱い数が減少し、1986年には(一部のサービスは
引き継がれましたが)鉄道の小荷物サービスが廃止に追い込まれてしまいます。
冒頭に触れたチッキや赤帽(これも懐かしい響きです)もこれを境にして一気に姿を消しました。
鉄道輸送の利点は、第1グループのマニなどに見られるように多数の車両を連結することで、
陸路を使って大量輸送できること、道路とは異なり基本的に定時運行が可能なことが挙げられ
ますが、他の運送会社のような小口の個人ユーザー向けのサービスを行うとなると確かに
厳しいのかもしれません。
チッキや赤帽が消えてしまったのと同じく、日本の旅客車から「荷物車」というカテゴリー
そのものがなくなってしまうのも残念ながらそう遠い日の事ではないのかもしれません…
と、現実ではその存亡さえ危ぶまれる荷物車ですが、近年模型業界では荷物車の発売や
再販が相次いでいます。
今後KATOでも「クモユニ74 0 湘南色」「10系寝台急行「津軽」 6両基本セット」
「10系寝台急行「津軽」 5両増結セット」「郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両基本セット」
単品「マニ37」「マニ60」などの発売が予定されています。
また、富塚オリジナルコレクション「メイクアップシール」では現行発売品の
旧型客車車両や電源車カニに完全対応した各種メイクアップシールを好評発売中です!

旧型客車のスハニ32

ニセコ編成のマニ60


妙高編成のオユ10

日本海編成のカニ24
長大編成が楽しめる旧型客車シリーズに、ブルトレ編成には無くてはならないカニ。
メイクアップシールでは、それぞれの客車の持つ特徴を的確に作り分けしています。
Nゲージの編成再現に各メイクアップシールシリーズを是非ご利用ください。
実車において人は乗車できない客車なのに「旅客車」扱いの「荷物車」
普段とはまた違った視点で荷物車を眺めてみるとまた違った魅力に
出会えるかもしれません。
(※現在発売中のメイクアップシールが、今後KATOから発売予定の
旧型客車製品に対応しているかどうか現時点では未確認です)
ホームページ>>>
これらの車両は、普段鉄道を利用する分にはほとんど意識することは
ありませんが、模型で列車編成を再現する場合、見過ごしてはならない
鉄道の興味深いファクターが満載なのです。今回はそんな荷物車編成に
ついて少しばかり紹介したいと思います。

「チッキ」
昔懐かしい響きを持つこの言葉。今の若い年代の方は何のことかさっぱり分からない
かもしれません。
チッキとは直訳すれば手荷物。広義の意味合いでは鉄道を使った荷物輸送の事を
こう呼んでいました。いつの頃からか、人の口からこの言葉を聞くことが全くなくなって
しまいましが、昔は荷物を送りたい場合、駅の小荷物窓口に荷物を持って行って、
小荷物専用の切符(この切符=預り証がチッキの語源であるとかないとか…)をもらい、
送られた方も荷物の届く駅まで荷物を取りに行くというスタイルが当たり前でした。
昨今の運輸業者による物流網の発展とサービス面での向上からすると、信じられない
くらい利便性が悪いものではありましたが、当時は遠方に荷物が送れるというだけで
十分満足できるものであり、その当時はそれが当たり前だったので別段不満という
ものもありませんでした。
さて、そんな荷物輸送に使用されている車両に話を移していきましょう。
まず、荷物車に興味を持った方が不思議に思うこと。それは荷物であるのに、荷物車の
営業上の取り扱いが人を運送する「旅客車」扱いであるという事ではないでしょうか。
そもそも鉄道車両には「貨車」という立派な1ジャンルがあるにも関わらず、
「貨物車」と同類であると思われる「荷物車」が旅客車扱いであるという不思議。
理由は「列車に乗車する人の手荷物を運ぶ為の車両を連結して運用していたこと」が
そもそもの始まりだった事に起因しているのですが、この理由付けが当を得ている
かどうかは別にして、日本の手荷物輸送の歴史の長さを感じるのは筆者だけではないはず。
そんな長い日本の「荷物車」のスタイルは、時代や路線により大きく分けて3つの
スタイルに分類できます。

EF62牽引 妙高編成
まず1つめが、荷物車の黎明期から最盛期にかけて運用されていた所謂旧型客車と呼ばれる
グループです。この中には、古くなった旅客用の客車を荷物車に改造した車両も含まれます。
そのため、一見似てはいるものの形状の異なる車両も多く、荷物車ファンにとって荷物車
編成を再現するといった場合、基本的にはこの旧型客車を揃えることになります。
代表的な車両はマニを筆頭としたグループです。

EF58重連での牽引を再現
1970年代。鉄道による荷物輸送が活況だった頃は、15両もの荷物車が連結されEF58による
重連で牽引する姿を東京で見ることもできました。今となってはまさに貴重な鉄道財産と
呼べるものでしょう。
上記の画像はKATOとTOMIXのゴハチをあえて使って、往時の度迫力重連シーンに挑戦して
みたものです。荷物列車ファンにとっては、是非ともEF58重連で長大編成を再現して
走らせてみたいという方は多いのではないでしょうか。

気動車キハユニ26
2つ目のグループは、クモニに代表される電車タイプの荷物車です。このグループは電車でも
あることから113系、115系や165系などの旅客電車に併結されて運用されることも多々あり
ました。当然、第1グループのようにこの荷物車だけで編成を組むなどという事はありません
でした。今回のブログでは触れませんが、気動車の荷物車というものもあり、強いていえば
この第2グループに含められると思います。

EF65牽引 あさかぜ編成
最後の第3グループは、ブルートレインで活躍していた「電源車カニ」タイプの荷物車です。
文字通りカニの後位側を荷物スペースに割り当てたグループで、系列等の違いで室内面積が
異なります。因みに現在はすべて廃止されてしまいましたが国鉄民営化後「ブルートレイン便」
なる荷物サービスがJRによって行われていました。

EF510牽引 北斗星編成
実のところ「ブルートレイン便」なるサービスがあったのを知ったのは、本記事を書くにあたり
荷物車のことを確認している最中に知ったばかりなので、詳しいことは殆ど存じ上げません。
ただ、上野駅にブルートレイン便の受付窓口があった事と、JR西日本で最後のブルートレイン
便は「日本海」が、JR東日本では「北斗星」と「あけぼの」が最後のブルートレイン便の任に
当たっており、2010年にサービスが廃止されたということだけを知ることが出来ました。
この様に車両のスタイルから荷物車を独断で3つのグループに分けてみましたが、鉄道の
荷物輸送だけをみてみれば、最後のブルートレイン便の経緯が示しているように、1960年代に
記録した取り扱い数をピークにして、年々取り扱い数が減少し、1986年には(一部のサービスは
引き継がれましたが)鉄道の小荷物サービスが廃止に追い込まれてしまいます。
冒頭に触れたチッキや赤帽(これも懐かしい響きです)もこれを境にして一気に姿を消しました。
鉄道輸送の利点は、第1グループのマニなどに見られるように多数の車両を連結することで、
陸路を使って大量輸送できること、道路とは異なり基本的に定時運行が可能なことが挙げられ
ますが、他の運送会社のような小口の個人ユーザー向けのサービスを行うとなると確かに
厳しいのかもしれません。
チッキや赤帽が消えてしまったのと同じく、日本の旅客車から「荷物車」というカテゴリー
そのものがなくなってしまうのも残念ながらそう遠い日の事ではないのかもしれません…
と、現実ではその存亡さえ危ぶまれる荷物車ですが、近年模型業界では荷物車の発売や
再販が相次いでいます。
今後KATOでも「クモユニ74 0 湘南色」「10系寝台急行「津軽」 6両基本セット」
「10系寝台急行「津軽」 5両増結セット」「郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両基本セット」
単品「マニ37」「マニ60」などの発売が予定されています。
また、富塚オリジナルコレクション「メイクアップシール」では現行発売品の
旧型客車車両や電源車カニに完全対応した各種メイクアップシールを好評発売中です!

旧型客車のスハニ32

ニセコ編成のマニ60


妙高編成のオユ10

日本海編成のカニ24
長大編成が楽しめる旧型客車シリーズに、ブルトレ編成には無くてはならないカニ。
メイクアップシールでは、それぞれの客車の持つ特徴を的確に作り分けしています。
Nゲージの編成再現に各メイクアップシールシリーズを是非ご利用ください。
実車において人は乗車できない客車なのに「旅客車」扱いの「荷物車」
普段とはまた違った視点で荷物車を眺めてみるとまた違った魅力に
出会えるかもしれません。
(※現在発売中のメイクアップシールが、今後KATOから発売予定の
旧型客車製品に対応しているかどうか現時点では未確認です)
ホームページ>>>
category: 鉄道模型