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20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と苦節~part3 


前々回ブログの「20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と
苦節~part2」
の続きです。

~九州寝台特急の終焉とEF66~

本記事のテーマは冒頭でも述べた通り、寝台特急の黄金時代を
支えた20系寝台「あさかぜ」を牽引した電気機関車である。

その物語りはEF65-500で終わりなのだが、最後に「あさかぜ」を
始めとした九州寝台特急の終焉に立ち会ったEF66について
紹介したい。

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1985年(昭和60年)、東京-下関間の牽引機がEF66に換装
された。理由は寝台客車の重量の増大にある。

20系客車は15両でおよそ480tだったが、24系25型では
約70tほど重量が増えることに。更には、「はやぶさ」に
連結されたロビーカーでは牽引定数が殊更に増えてしまい、
EF65では明らかに力不足であった。

また、EF65の経年劣化と、連日に亘る長距離走行による
損耗は隠すべくもない状況であったことも事実である。

ちょうどこの時期、貨物輸送が減少していた事からEF66の
運用に余剰が発生していた。EF66は客車牽引に必要となる
パワーに関しては折り紙付きの牽引機である。
こうしてEF66は1985年(昭和60年)から、九州寝台特急の
牽引の任を一手に引き受けたのだった。

ちなみに、「あさかぜ」「さくら」の運行終了は2005年
(平成17年)であり、最後の九州寝台「富士」「はやぶさ」も
2009年(平成21年)にその役目を終えた。

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EF66も各種メーカーから模型化されてきた車両である。
これまでの車両と比べてみると、顔(車体)が縦長になっている
印象を受ける。運用自体はEF65を引き継いでいるので、
寝台特急、高速貨物のどちらの編成再現でも活躍してくれる。

EF66の元々の開発目的は高速貨物輸送であった事もあり、
EF65のようにP・Fというような車両毎による運用担当に違いは
ない。国鉄民営化後の1980年代後半から2000年代の寝台
特急を模型で再現する場合、お世話になるマンモス機関車だ。


~あさかぜ牽引機その栄光と苦節、おわりに~

いったい鉄道ファン、今風に言うところの
「鉄っちゃん」は、いつの時代からいたのだろうか。

本稿で主に語ってきた昭和30年代頃、鉄道ファンは
“鉄道マニア”と呼ばれ、一部熱烈なの愛好家の世界だった。

ただ、商業誌では現在でも刊行が続く「鉄道ピクトリアル」
(電気車研究会)が1951年(昭和26年)に創刊され、1961年
(昭和36年)には「鉄道ファン」(交友社)も登場した。
こうしたところから、一部の愛好家の世界だった鉄道ファンの
裾野が確実に広がり出した時代だったと推測できる。

そして、新しい鉄道ファン拡大の立役者となったのは、
1958年(昭和33年)、日本の鉄道史を語る上で欠かすことの
できない151系電車と、のちに「ブルートレイン」と呼ばれる
ことになる20系寝台特急「あさかぜ」であったのは間違いない。
鉄道ファンの市民権獲得の礎にも、その栄光の足跡を見ることが
出来るのではないだろうか。

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実は11年ほど前のブログで、「20系ブルトレ牽引機の変遷」と
題し、当店のオリジナル商品の紹介と併せ、東海道筋で
20系寝台客車を牽引した機関車についての記事を書いた。

実際に活躍した機関車については、どれくらい掘り下げて
詳細を記すべきかいつも悩むのだが、今回はその記事も念頭に、
大幅に加筆した内容となった。

さて、最後に本ブログ執筆の理由でもある新製品
メイクアップシール「20系寝台特急あさかぜ(初期編成)」
そして、今回のブログで登場した客車編成対応のメイク
アップシールラインナップをご紹介。

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「20系 寝台特急 あさかぜ 基本8両セット」4,620円
(品番:TM-KN018)
「20系 寝台特急 あさかぜ 増結7両セット」4,180円
(品番:TM-KN019)
「20系 あさかぜ カーテン・ブラインド 15両セット」1,980円
(品番:TM-KN020)
(※上記販売価格は、2022年7月時点のものです)
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「20系 寝台特急 あさかぜ(初期編成)基本8両セット」4,620円
(品番:TM-KN154)
「20系 寝台特急 あさかぜ(初期編成)増結7両セット」4,400円
(品番:TM-KN155)
「20系 寝台特急 あさかぜ(初期編成)カーテン・ブラインド 15両」1,980円
(品番:TM-KN156)
(※上記販売価格は、2022年7月時点のものです)
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~番外編:EF58青大将が牽く「20系さくら」~

1956年(昭和31年)、東海道本線に投入された特急「つばめ」、
特急「はと」の牽引機用として淡緑色に塗装されたEF58が製造。
されたこのカラーリングが施されたEF58はその見た目から
青大将と呼ばれることに。

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ブルトレの方では「あさかぜ」に続き、1957年(昭和32年)に
寝台特急「さくら」が運行を開始。この「さくら」の牽引に、
「つばめ」「はと」牽引用に製造された青大将塗装のEF58が
投入されるケースがみられた。

尚、青大将塗装が施されたEF58車両は全部で25両。それらの
機関車は東京機関区と宮原機関区にそれぞれ席を置いていた。

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ブルトレの1つの定義に従って言えば、淡緑色のEF58が
牽引した場合、それはブルトレではないような気もする。
しかし、今から思うと何とも贅沢な編成だったと言わざるを
得ないというのも正直な気持ちだ。

ちなみに当時としてもインパクトがあったのか、1960年頃に
出版された絵本の表紙などでは、この時のEF58青大将が牽引
する20系「さくら」の絵が描かれたりもした。

特急「つばめ」「はと」だけではなく、寝台特急「20系さくら」の
編成再現にも活躍した青大将のEF58。「あさかぜ」ではないものの、
EF58繋がりという事で、番外編として追記した。

もちろん「20系さくら」用メイクアップシールも好評発売中!

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「20系 さくら 7両セット」3,960円
(品番:TM-KN014)
「20系 さくら カーテン・ブラインド 7両セット」1,540円
(品番:TM-KN015)
(※上記販売価格は、2022年7月時点のものです)
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「20系 寝台特急 さくら(長崎・佐世保) 16両セット」 5,280円
(品番:TM-KN016)
「20系 さくら 長崎・佐世保 カーテン・ブラインド 16両セット」1,980円
(品番:TM-KN017)
(※上記販売価格は、2022年7月時点のものです)
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category: 鉄道模型

Posted on 2022/07/04 Mon.   edit  |  tb: 0   cm: 0  

20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と苦節~part2 

 
前回ブログの「20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と
苦節~part1」
の続きです。

~山陽の難所、瀬野八の強力な助っ人EF59~

EF59は1963年(昭和38年)に高崎機関区と東京機関区のEF53、
次いで宇都宮機関区のEF56をそれぞれ改造して誕生した。

その目的は山陽本線の難所である瀬野~八本松間の勾配区間を
補助する事にあった。瀬野-八本松間は10.5kmの区間は、
22.6パーミルの勾配が続く。

もともとの計画ではこの区間に、最高速度85km/h以下という
高速性能よりも牽引力を重視した機関車の投入が予定されていた。

しかし広島駅で補機を連結し、広島-瀬野間を90km/hで特急列車を
運転する事となり、それに対応させる為に製造されたのが本機である。

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EF53から改造されたEF59

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EF56から改造されたEF59

重量のある貨物列車だけでなく、14両もの20系寝台客車を
牽引するに至っては、EF58、続くEF61でも出力不足となるため、
EF59の補助が必要となっていた。
 
尚、EF59は列車の後方に連結される補機ではあるが、レアな
ケースとして事故の影響から、20系「あさかぜ」を先頭に立って
牽引した時の映像も残されている。
当時の8mmビデオなので詳しい経緯は不明だが、瀬野駅を
通過する岡山から広島への下り「あさかぜ」だと思われる。

本記事は「あさかぜ」の牽引機関車について述べているが、
上記の映像発見もあって、急遽ピンチヒッターを務めた
実績ありという事でEF59についてもまとめる事とした。

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さて、EF59の外観については冒頭でも述べた通り、ベースとなった
EF53とEF56の違いによって、2タイプのスタイルが併存する事となった。
EF53をベースにした方は、パンタが屋根上両側に配置されている。
それに対しEF56を改良した車両はパンタが中央に寄った外観と
なっており、そうした違いもEF59の魅力となっている。

また、他の電気機関車と比べると、車体両側にデッキが設けられて
いる分だけ車両が長くなっており、特に2エンド側に警戒色塗装が
施されているのも見逃せない。

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EF59は鉄道模型に於いても瀬野八越えを再現する場合、
欠かすことの出来ない模型である。
EF59が連結されていれば、それは瀬野八であることを意味する。

後補機の役目を果たした後は2両、4両(場合によっては6両)と
EF59を連結して瀬野に戻ってきた。そうした編成を再現して
みるのも、また楽しい模型だ。


~不遇の牽引機EF60-500~

EF60は1960年(昭和35年)に平坦路線向けの車両として開発された
電気機関車である。そして、1963年(昭和38年)から1964年(昭和39年)、
20系客車「あさかぜ」を牽引していたEF58形の置換え用として
製造された車両グループが、EF60の500番台グループなのである。

EF60は従来の貨物列車用の機関車とほぼ同等の出力を
持ちつつ、小型軽量の機関車として開発されたのだが、
この設計構造が後々の不運へと繋がっていくこととなる。

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昭和30年代の後半、国鉄では輸送力強化のため相次ぐ
増強を実施。その結果、運行ダイヤはもはや限界の域に
達していた。これ以上の増発が無理ならば、連結する車両を
増やす事で定員数も確保するしかない。

そこで「あさかぜ」では、13両の牽引が限度であったEF58を
EF60-500へと置き換える事で、15両もの長編成「あさかぜ」を
実現する事に。

また、EF58単機ではセノハチの勾配を登坂する事が出来ず、
後部補機を必要としていた。このネックを解消できることも
EF60-500置き換えのメリットであった。

しかし、EF60自体は一般の貨物列車牽引を目的として設計されて
いた為、高速運転でのロングラン走行はそもそも無理であった。
実際、過重な負荷に耐えられず主電動機が故障する事態が多発。

1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)までの2年あまりで、
「あさかぜ」牽引の座を追われることとなった。

しかし、腑に落ちないのは、なぜ貨物用設計のEF60を「あさかぜ」
牽引に採用してしまったのかという事だ。技術者や設計者ならば、
予めこの結果が予見できそうなものだが。

もしかしたら、技術部はこの問題を指摘したにも関わらず、
上層部の甘い経営判断や運用などの諸事情などから、
強引にEF60-500導入を推し進めた可能性も考えられる。

筆者の知る限り、当時の国鉄内部の判断や関係者の話が伝わって
いないので安易なことは言えないが、「あさかぜ」牽引を次の
EF65に譲ってのち、EF65不足の事態に陥っても本機EF60-500
ではなく、先代のEF58が寝台特急牽引に再登板するに至っては、
まさに不運の機関車と言うほかない。

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国鉄の直流電気機関車の標準的なスタイルといえばEF60だ。
「あさかぜ」牽引では不遇であったものの一般貨物の牽引に
於いては広く活躍した。
また、1970年代後半からは中央本線・高崎線・両毛線などに
投入されたので、関東圏でもその姿を見られた。

模型では特急色のほか、以前は一般色、茶色、やすらぎ色などが
販売されてきた。Nゲージのレイアウト走行では主電動機の
トラブルなど関係なし。EF60は貨物列車を編成する場合のマスト
アイテムなのである。

~そして、栄光のEF65-500~

今回取り上げた20系寝台「あさかぜ」牽引の最後の栄誉に
浴したのがEF65-500である。20系客車だけではなく、この
EF65-500もまた直流用電気機関車の名機と呼ばれる存在だ。

EF65-500はまず、1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)に
17両が製造。1968年(昭和43年)には基本番台から改造された
車両も追加された。

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先述の通り、「あさかぜ」牽引のEF60-500は長距離の高速運転に
難があった。また、この時期、軌道の強化により寝台特急の速度
向上案が浮上。しかし速度アップ時に必要となるAREBブレーキを
EF60-500が搭載していない事なども重なり、EF65-500が誕生する
こととなった。

EF65-500が20系「あさかぜ」の牽引を開始したのは、製造年と
同じ1965年(昭和40年)からだが、3年後のヨンサントオと
言われる1968年(昭和43年)10月1日のダイヤ改正後、
20系特急の最高速度が110km/hに引き上げられている。

時は進み、この間EF65-500は20系寝台「あさかぜ」を始め、
寝台特急の牽引機として活躍を続けた。
しかし、20系寝台の方に置き換えの時期が迫っていた。

1972年(昭和47年)、東京-博多間の「あさかぜ」で14系客車
への置き換えが実施された。

さらに6年後、いよいよ20系ブルトレの元祖「あさかぜ」も
姿を消す時がやってきた。
1978年(昭和53年)1月31日、最後まで残っていた20系客車
編成の「あさかぜ」も24系25形の寝台客車へ置き換えられ、
ここに1958年(昭和33年)から日本の寝台特急の一黄金時代を
築いた20系寝台「あさかぜ」の幕は下りたのだった。

尚、栄光の20系寝台「あさかぜ」の最後まで牽引の重責を
果たしたEF65-500も連日にわたる高速での1,000km輸送による
老朽化は避けられず、寝台特急牽引の役目を同系列の
EF65-1000に道を譲ったのは、この年の秋のことであった。

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国鉄時代の直流用の電気機関車は数あれど、模型で人気が
高いのはEF58か、このEF65なのではないか。
EF58と同様にEF65も製造分類にあわせ、0番台、500番台P形、
500番台F形、1000番台などが販売されてきた。

東京発の寝台はもちろん、大阪発の寝台特急も牽引し、
当然の如く高速貨物列車の運用でも活躍。
国内の主要な直流区間で大車輪の働きぶりをみせた。
特急寝台を再現する場合、無くてはならない模型である。
 
 
つづく

category: 鉄道模型

Posted on 2022/06/25 Sat.   edit  |  tb: 0   cm: 0  

20系寝台特急あさかぜ牽引機~その栄光と苦節~part1 

~序・国鉄黄金時代の幕開け~

1958年(昭和33年)、この年は日本の鉄道史のなかでも
燦然と輝く2つの新製車両がデビューした年だった。

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その1つが10月1日に登場した特急「あさかぜ」用の
新製車両、20系客車。そしてもう1つが、11月1日に
運行を開始した新製長距離高速電車「特急こだま号」、
151系電車だ(奇しくもこの151系も当初の制式名称は
20系電車だった)。

クリーム色をベースに赤いラインを纏い、電車による
高速運転を実現させた151系電車と、ブルー地にクリーム
色のラインが落ち着いた印象の20系寝台。
戦後初の寝台特急に投入されて東京と九州を結んだ。

昼行の151系と夜行寝台の20系客車。昼夜それぞれで、
増大する旅客輸送に見事に応えたのだ。
長距離区間を速く、そして快適に。1958年はまさに
新たな鉄道の時代の幕開けを告げた年だったのである。

これまで富塚通信ではメイクアップシールの製作に合わせ、
151系電車と20系客車については度々ブログで実車に
ついての記事を書いてきたが、牽引機の方にはあまり
触れてこなかった。

しかし、20系客車には当然牽引機が必要となり、その花形寝台
「あさかぜ」の牽引機にも当然多くの注目が集まった。
そこで今回は、東海道筋を中心に20系寝台「あさかぜ」を牽引した
機関車について、3回に分けてブログにまとめる事にした。

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~その運用実績から白羽の矢が、EF58~

20系客車が「あさかぜ」に投入されたのは、1958年(昭和33年)
からなのだが、夜行特急「あさかぜ」自体の運行開始は2年前の
1956年(昭和31年)11月19日のことだった。
その時から「あさかぜ」の牽引はEF58が務めていた。

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「あさかぜ」投入から遡ること7年、1951年(昭和26年)に
日米講和条約が締結された。
これによりドッジラインで凍結されていたEF58の製造が
再開されることになったのだが、その際に今後の運用
方法を考慮してEF58の車体設計の見直しを行う事に。

また、講和条約によりGHQから目を付けられたていた
ベアリング産業なども足かせが無くなり、無事EF58に
国産のローラーベアリングを採用することが可能となった。

こうして半流線型と言うべきスマートな姿として改良型の
EF58が誕生した。この改良型は初期型と比較しても
様々な変更点があるが、特筆するとすればSG(蒸気発生
装置)の搭載は客車牽引を担う上で重要な改良だった。

尚、改良型のEF58は1952年(昭和27年)から、20系寝台特急
「あさかぜ」が運行を開始した1958年(昭和33年)にかけて
175両もの車両が製造された。製造計画でみると、なんと
13回にも及び増備車が造られていたことになる。

これは当時の全国的な電化路線の延伸とそれに伴い、連続した
長距離走行が可能且つ、高速性能を持つ電気機関車を多く
必要としていたことに因る。

身も蓋もない言い方をすれば、20系寝台「あさかぜ」を牽引
できる電気機関車が他に無かったとも言える。
しかし、当時の時代背景や国鉄の事情があったとはいえ、
20系寝台に置き換えられた「あさかぜ」牽引のトップバッターを
任じられたのはその実績があればこそであり、結果的にみれば
時代の必然でもあった。

余談ではあるが、寝台特急の牽引の主役がEF65-500の時代。
大阪発の夜行寝台が増発された際、EF65が不足する事態に陥った。
その時、EF58が再登板に指名され、一時寝台特急の牽引に
復活する事となった。このことからも如何にEF58が信頼に足る
機関車であったか察することが出来る。

EF58は1963年(昭和38年)に「あさかぜ」牽引の栄誉を
次のEF60-500番台へと譲った。

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EF58は装備や運用の違いから、塗装はもちろん形状や
スタイルに様々なバリエーションが存在する。鉄道模型でも、
各メーカーから多くのEF58がリリースされてきた。

寝台特急「あさかぜ」はもちろん、当時の国内で運行されていた
多くの旅客輸送の主力として活躍を続けたEF58。

初期型のEF58が登場したのは1946年(昭和21年)であり、
所謂、新型の直流標準機が世に出たのはそれから10年以上も
後のことである。当然、車両の形状は新型電気機関車と比べると
時代的な新しさには欠けるのは事実だ。しかし、その独特な
フォルムにはある種の風格が漂っており、“ゴハチ”ファンを
惹きつけてやまないのである。

その期間も1960年から1970年代と長期にわたっており、
国鉄時代の列車を再現する場合、ぜひとも何両かは揃えて
おきたい模型の1つだ。


~短いながらも予備機として活躍をみせたEF61~

20系寝台「あさかぜ」牽引機を大きな流れでみるとEF58の
次はEF60-500となる。しかし、後述となるがEF60は貨物牽引を
重視した設計のため、長距離の高速運転に大きな問題を
抱えていた。また旅客列車用SG(蒸気発生装置)やEG(電気
暖房装置)といった装備なかった。

そこで既に製造が終了していたEF58の後継機として旅客用
設計のもと、1961年(昭和36年)から製造されたのがEF61である。

2022-06-20-06.jpg

1962年(昭和37年)、試験運用も兼ねてなのか、上り限定でEF58の
予備機として20系寝台「あさかぜ」の先頭を務めることもあった。

本形式は1961年(昭和36年)製造だが、その前年に国鉄は
動力近代化計画を発表。これからの旅客輸送は電車か
ディーゼルを中心に据えるというもので、その影響もあって
EF61は18両の製造に留まってしまった。
やはりこうした状況下では大量に製造してEF58の後継機としての
ポジションを獲得することは出来なかっただろう。

翌1963年(昭和38年)のEF60-500登場以降、「あさかぜ」牽引に
戻ることはなかったが、山陽本線の貨物輸送ではEF58との重連などで
活躍。SG装置を搭載した関係からEF60よりもボディが長くなっており、
そのスマートな印象から実はファンも多かったりする。

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製造数も少ない上に、主に活躍したのが山陽本線と東海道である
という事もあり、少しばかりマイナーな車両ではあるが、「あさかぜ」
牽引だけではなく、急行・普通列車や貨物の牽引もこなした。

1960年代の岡山-広島から下関あたりの列車を鉄道模型で編成する
場合、幅広く活躍してくれる。今年(2022年)4月にKATOからEF61と
初期塗装のEF61(茶)が発売された。
郵便・荷物車編成を再現するもよし、20系「あさかぜ」を牽引させるも
また良し。新型の直流標準機スタイルを楽しむことができる。

つづく
 
 

category: 鉄道模型

Posted on 2022/06/20 Mon.   edit  |  tb: 0   cm: 0  

動画撮影再開と室内灯点灯問題のその後 


車両にセットした室内灯の点灯問題を何とか解決した
製作室では、動画撮影を無事に再開。

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ジオラマでの撮影風景

渓谷を流れる川に沿って走る鉄道橋のジオラマ。
単線の上を走っているのは国鉄色の381系電車です。

ちなみに上の撮影風景の写真では少し分かり難いですが、
画面の中央あたりに黒いコードが伸びています。
その接続先がこちら。

2021-12-24-02.jpg
テレビ画面を見ながら撮影

テレビです。ビデオカメラとテレビをHDMIケーブルで
繋ぐと、テレビ画面を見ながら撮影画像を確認する事が
出来ます。

今回はある路線の歴史に沿った内容で作品を構成して
おり、撮影車両も多くなっています。その為撮影時間が
必要ですが、ぜひ新作動画をご期待いただければと
思います。

 
さて、ここからは前回掲載した室内灯点灯トラブルの
その後の経緯と補足をお届けしていきます。

前回の富塚通信では、車輪の汚れにより室内灯が
点灯しない問題に直面。
たまたま目に留まった激落ちくんを使ってみると、
室内灯が見事点灯したところまでご紹介しました。

しかし胸を撫で下したのも束の間、今度はジオラマ
走行時のチラつき問題にぶつかることに!

車両を動かさない写真撮影であれば、室内灯が点灯して
いれば問題ありません。
ですが車両が走る動画撮影の場合、走行時のチラつきは
絶対に抑えなければなりません。

そこで急遽サビ取り剤を使って車輪の洗浄を行うことに
したのですが、間の悪いことに、これまで使っていた
サビ取り剤が直ぐに入手出来ないことが判明。

取り合えず、直ぐに購入できるサビ取りクリーナーを
用意して車輪の洗浄を行ってみました。

2021-12-24-03.jpg
車輪をクリーナー液にどぼん(ちょっと浸け過ぎかも…)

車軸をクリーナー液にしばらく浸し、布切れで1つ1つ
磨いていきます。それなりに数があるので磨くだけで
1時間くらい掛かりました。

2021-12-24-04.jpg
クリーナー液で磨いた車輪

上写真の左側の2つは比較的綺麗になった車輪。
右側の2つは一部にもともとの黒染めが残った車輪です。
今回使用したサビ取り剤では多くの車輪で、黒染が
中途半端な形で残る結果に。

取り合えずは、この状態の車輪を台車に戻し、
再び車両を走行させてみたところ、チラつきは
確かに低減されていました。

けれども、チラつきが気にならないというレベルでの
効果は得られません。そこで今度はサビ取りした車輪を
1000番の耐水ペーパーでしっかりとやすってみましたが、
それでも完璧に走行時のチラつきを解消するには至り
ませんでした。

尚、下の画像は同じく走行時のチラつき問題を起こして
いた、別模型の銀ピカ車輪を同様にサビ取り剤で洗浄
したものです。

2021-12-24-05.jpg

洗浄した幾つかの車輪は光沢感を取り戻すことなく、
画像の左車輪のようにいくら磨いてもくすんだままの
劣化車輪になっていました。この車輪を使っても勿論
チラつきは改善されません。

また、サビ取り剤での清掃が必要なほど走り込んだ
車輪というのは思いのほか傷んでおり、やすった
くらいで修繕する事はほぼ困難です。

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KATO11-611中空軸車輪(スナップ式台車用・黒)<車軸短>

今回、室内灯の不点灯及び、走行時のチラつき問題に
あたって、車輪のサビ取り洗浄とやすり掛けを行って
みましたが、サビ取り剤のコストに実際の作業に要する
手間や時間、そしてその結果を考えると、メーカーから
販売されている車両アクセサリーを購入の上、車輪を
交換してしまった方がはるかに楽ちんで確実です。

今更ながらの内容ですが、鉄道模型の室内灯が点かない、
或いは走行時のチラつきトラブルというのは、どれだけ
メンテナンスを行っていてもいずれは遭遇する問題です。
今回の体験を踏まえ、ぜひ皆様には車輪のストックを
お勧めいたします。

 
最後にお知らせです。
製作室では動画撮影と同時進行で、新製品メイクアップ
シールの製作に着手します。
対象車両はKATOからリリースされた新製品です。

詳細については製品化が固まってから随時ご案内して
いきますので、メイクアップシールについても
どうぞご期待下さい。

category: 鉄道模型

Posted on 2021/12/15 Wed.   edit  |  tb: 0   cm: 0  

車軸汚れのクリーニングに、まさかのアレが活躍!? 

現在、製作室にて撮影中の新作動画にキハ82の出番があり、
久しぶりにキハ82編成をジオラマに並べてみました。
すると、およそ半分の車両の室内灯が点灯しない事態に!?

手で車両を押さえてみると、しっかり点灯するものの
手を離せばやはりLEDは点灯せず。

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室内灯、点灯せず…

ここで、ピンときました。これは車軸表面の汚れが
原因であると。

室内灯の点灯しない車両の台車が左下の写真です。
ちなみに右隣の写真はきれいに室内灯の点灯する
車両の台車です。

2021-12-15-02.jpg2021-12-15-03.jpg
左:室内灯の点灯しない台車、右:室内灯の点灯する台車

尚、それぞれの車軸を取り外して比較したのが、
下の画像です。

2021-12-15-04.jpg
左:室内灯の点灯しない車軸、右:室内灯の点灯する車軸

汚れ具合の差が一目瞭然です。何故、同じように走行し、
同じケースで保管しているのにこのような違いが生じたのか
理由は分かりませんが、こうなるとユニクリーナーで
清掃しても効果はありません。

こういう頑固な汚れには模型用のサビ取り剤を使うところなの
ですが、間の悪いことにストックを切らしている事が判明。

車軸の表面に細かな傷がついてしまうので、ペーパーで
やするのは最善手ではないものの、こういう急ぎの事態に
限って1000番の耐水ペーパーも見当たらず…

どうしたものかと作業デスクを掻き回していると、
何やら視線を感じてふとあるものが目に留まりました。

2021-12-15-05.jpg

「水だけで汚れが落ちる、洗剤いらずの魔法のスポンジ」
激落ちくんです。
………これは、使えるかもしれない。
ダメもとで汚れた車軸を磨いてみました。
すると、
2021-12-15-06.jpg

室内灯が点灯しました。
彼はステンレスやガラスや陶器だけではなく、鉄道模型の
車軸の頑固な汚れも落とす事に成功したのでした。

なお、磨いた結果、見事に室内灯は点灯しましたが、
新品のようにピカピカになったわけではありません。

また、表面に細かなキズが発生するリスクも高いので、
激落ちくんでの車軸清掃は非常事態の緊急処置であり、
決してお勧めするわけではありません。
もし、試される場合には自己責任でお願いします。


余談ながら室内灯の話が出たので、もう1つ製作室でも
使っているノウハウを。
使うアイテムはこれです。
2021-12-15-07.jpg

導電テープです。これは決して珍しいノウハウという
わけではないので、実際に使っている方も多いと思います。

テープの使い方や貼り方は様々あるでしょうが、製作室では
シンプルに、テープの高さを7mm弱、長さは模型に合せ
1~2cmくらいで切り出したものを丸めて厚みを出し、
室内灯の基盤と集電シューの間に挟んでいます。

2021-12-15-08.jpg

近年、新規製作された模型では、テープを使う必要性は
あまりないような気もしますが、少し古い成型の模型では
基盤ユニットをテープで補強するだけで、点灯や走行時の
チラつきがかなり改善しますので、一手間を掛ける価値は
十分あります。

室内灯を採用すれば模型の印象は格段に向上しますが、
綺麗な点灯を楽しむ為にはクリーニングは必須です。
それでも不点灯というトラブルに直面する事もあります。

そうした事態に遭わないように定期的なメンテナンスと、
いざという時の為に台車や車軸パーツの清掃方法も確立
しておくと安心です。

そして、本当にどうしようもない非常事態には、彼に
頼ってみるという選択肢があっていいのかもしれません。
もし、試される場合には~以下略。

category: 鉄道模型

Posted on 2021/11/28 Sun.   edit  |  tb: 0   cm: 0