鉄道の意義に改めて思い致して
明けましておめでとうございます。
年末から三が日まで、いかがお過ごしでしたでしょうか。
今年最初の富塚通信は、私、春野恵でお送りします。
さて、昨年の9月に当店公式YouTubeサイトにてオリジナル動画
「帰っておいで~ふるさとの風~」を公開しました。
この動画はコロナ禍によって、ふるさとに帰ることができなく
なってしまった知人女性の帰郷への思いを表現したものですが、
そのモデルになった女性から便りが届きました。

彼女の故郷は和歌山県の新宮市なのですが、今年は3年ぶりに
帰省が叶ったとのことでした。新大阪から「くろしお」に乗って、
久しぶりに感じるふるさとを満喫したようです。

彼女からの便りによれば、ふるさとの丸もちと白みその
お雑煮が懐かしく特に美味しかったとのこと。
元旦の初詣には熊野速玉大社にお参りに行き、
その元宮である神倉神社にも急な石段を登って
お参りしたそうです。

更には地元の小学校時代の旧友とも会うことが出来たとのこと。

この4日間はまるで「帰っておいで~ふるさとの風~」の内容
そのものだったという感想とともに、こうも書き添えられていました。
「鉄道というのは私にとっては単なる移動手段でしかありませんでした。
でも今回の帰省を通して単なる移動手段ではなく、大切なものと
自分を繋ぐそんな存在なんだなということに気付かされました」
去年はコロナによって、外出や移動を著しく制限されていましたが、
今年からは感染対策をしっかりする事で移動の制限がなくなりました。
コロナ前と同じというわけにはいきませんが、改めて映像をご覧いただき
帰省する事の出来る喜びを噛みしめていただければ幸いです。
また、我々自身も鉄道は決して単なる移動手段ではなく、
人それぞれに大事なものとをつなぐ存在だということを
肝に銘じながら、メイクアップシールを始めとする制作に
努めていきたいと思います。
改めまして、本年もよろしくお願い申し上げます。
category: YouTube動画
震災から11年目に思うこと
11年前に起こった未曽有の大災害、東日本大震災。
その忘れられない3月11日が、今年もやってきました。
あれから被災地の復興は進み、基本的なすべての路線の
復旧は成されたものの、JR気仙沼線や大船渡線など大きな
被害を被った鉄道事業は廃止せざるを得ず、バス・ラピッド・
トランジットへの転換を余儀なくされたところもありました。
しかし壊滅的な被害を受けつつも、鉄道は被災からの再生、
復興の象徴として、特に地元の沿線住民たちから強く求め
られました。

「誇り(プライド)からのワンシーン、たちあがろう東北」
震災直後、冬の寒さに凍える被災者に石油を届けるため、
ディーゼルカーが活躍したことは有名な話です。
その逸話をもとに、以前、制作室では困難を伴う石油
輸送に尽力した鉄道マン達の物語を描いた映像作品
「誇り(プライド)」を制作しました。
尚、昨年は、東日本大震災の節目の年だったこともあり、
「誇り(プライド)」をYoutubeにて公開。
当ブログ上でも内容についてご紹介させていただきました。
~鉄路の男たちに与えられた使命
それは冷え切った北の大地に希望を運ぶこと
俺たちが運ばないで誰が運ぶ
そんな彼らも被災者だった~「誇り(プライド)より」
また、停電し照明も暖房も付かない中、三陸鉄道の当時の
社員たちは駅構内に偶然停車していたディーゼル車両内を
利用して活動拠点とし、災害対策本部を設置。
まだ停電中で信号機も動かない中、手旗信号などを使用して
人海戦術で苦難を乗り切り、鉄道の運転を行うことで、混乱が
続く被災者たちに希望を与えました。
想像を絶する被災状況にあって、列車を動かすことができるのは
自分達しかいない。そうした心意気もまた、鉄路に生きる男たちの
意地とプライドだったのでしょう。

「誇り(プライド)からのワンシーン、タキ1000と連結」
さて、実際に「誇り(プライド)」の映像をご覧
いただいた方からは様々な立場での感想を頂戴しました。
なかには実家が津波の被害に遭われたという方。
復興支援の為、被災地で昼夜を問わず人命救助に
従事されたという自衛官の方などもいらっしゃいました。
いただいた感想などを拝見しつつ思ったのは、
被災者や復興に節目はないのだという事です。
昨年は震災から10年。そして今年は11年目と1年分の
時間は積み重なっているものの、決してそれは節目
などで区切れるものではありません。
また、ここ最近の震災関連のニュースを見ていて
気になる事が2つあります。
先ず1つ目は復興の分断と方向性です。
再建が進んだ地域もあれば、帰還困難区域もあります。
人口が震災前とほぼ同水準まで回復した市や町がある
一方、回復率が5割に満たない町や村があります。
復興という名の下、安全性のために土地を嵩上げし、
これまでとは違う姿の街を建設していく。こうした現実に
戸惑いを感じている被災者の方もいらっしゃるようです。
当然の事ながら、これらの問題点を完全に解消し得る、
すべての被災者の方が納得のいく復興方法や完璧な
再建プランは残念ながら存在しません。
しかし、だからこそ、これからも継続してゆかなければ
ならない復興について、その方法や方針を改めて検証する
時なのだという気がします。

「誇り(プライド)からのワンシーン」
そして、気になる事のもう1つは、震災を直接知らない
世代の子供が増えてきているという事です。
震災から11年。当時、まだ小さな幼児であった子供も
含めれば、現在の小学生以下の子供は大震災を直接
知らない世代となります。
予測ではありますが、政府の地震調査委員会は、
今後30年以内に太平洋岸地域で、いくつかの巨大地震が
発生すると公表しています。
また、日本列島では大地震だけが災害ではありません。
台風や豪雨、火山の噴火などの災害についても備えな
ければなりません。

「誇り(プライド)からのワンシーン、ありがとう!」
今から11年前。厳しい被災状況の中で、故郷の再生のために
立ち上がった男たちが居たことを忘れないで欲しい。
今の子供たちにも、当時から現在に続く復興への希望を
つないだ鉄道マンたちのプライドを知ってもらいたい。
映像作品「誇り(プライド)」
今一度、当時を振り返る意味でご視聴いただければ
幸いです。特に小学生以下のお子様がいらっしゃる方は、
是非ともご一緒にご覧ください!
その忘れられない3月11日が、今年もやってきました。
あれから被災地の復興は進み、基本的なすべての路線の
復旧は成されたものの、JR気仙沼線や大船渡線など大きな
被害を被った鉄道事業は廃止せざるを得ず、バス・ラピッド・
トランジットへの転換を余儀なくされたところもありました。
しかし壊滅的な被害を受けつつも、鉄道は被災からの再生、
復興の象徴として、特に地元の沿線住民たちから強く求め
られました。

「誇り(プライド)からのワンシーン、たちあがろう東北」
震災直後、冬の寒さに凍える被災者に石油を届けるため、
ディーゼルカーが活躍したことは有名な話です。
その逸話をもとに、以前、制作室では困難を伴う石油
輸送に尽力した鉄道マン達の物語を描いた映像作品
「誇り(プライド)」を制作しました。
尚、昨年は、東日本大震災の節目の年だったこともあり、
「誇り(プライド)」をYoutubeにて公開。
当ブログ上でも内容についてご紹介させていただきました。
~鉄路の男たちに与えられた使命
それは冷え切った北の大地に希望を運ぶこと
俺たちが運ばないで誰が運ぶ
そんな彼らも被災者だった~「誇り(プライド)より」
また、停電し照明も暖房も付かない中、三陸鉄道の当時の
社員たちは駅構内に偶然停車していたディーゼル車両内を
利用して活動拠点とし、災害対策本部を設置。
まだ停電中で信号機も動かない中、手旗信号などを使用して
人海戦術で苦難を乗り切り、鉄道の運転を行うことで、混乱が
続く被災者たちに希望を与えました。
想像を絶する被災状況にあって、列車を動かすことができるのは
自分達しかいない。そうした心意気もまた、鉄路に生きる男たちの
意地とプライドだったのでしょう。

「誇り(プライド)からのワンシーン、タキ1000と連結」
さて、実際に「誇り(プライド)」の映像をご覧
いただいた方からは様々な立場での感想を頂戴しました。
なかには実家が津波の被害に遭われたという方。
復興支援の為、被災地で昼夜を問わず人命救助に
従事されたという自衛官の方などもいらっしゃいました。
いただいた感想などを拝見しつつ思ったのは、
被災者や復興に節目はないのだという事です。
昨年は震災から10年。そして今年は11年目と1年分の
時間は積み重なっているものの、決してそれは節目
などで区切れるものではありません。
また、ここ最近の震災関連のニュースを見ていて
気になる事が2つあります。
先ず1つ目は復興の分断と方向性です。
再建が進んだ地域もあれば、帰還困難区域もあります。
人口が震災前とほぼ同水準まで回復した市や町がある
一方、回復率が5割に満たない町や村があります。
復興という名の下、安全性のために土地を嵩上げし、
これまでとは違う姿の街を建設していく。こうした現実に
戸惑いを感じている被災者の方もいらっしゃるようです。
当然の事ながら、これらの問題点を完全に解消し得る、
すべての被災者の方が納得のいく復興方法や完璧な
再建プランは残念ながら存在しません。
しかし、だからこそ、これからも継続してゆかなければ
ならない復興について、その方法や方針を改めて検証する
時なのだという気がします。

「誇り(プライド)からのワンシーン」
そして、気になる事のもう1つは、震災を直接知らない
世代の子供が増えてきているという事です。
震災から11年。当時、まだ小さな幼児であった子供も
含めれば、現在の小学生以下の子供は大震災を直接
知らない世代となります。
予測ではありますが、政府の地震調査委員会は、
今後30年以内に太平洋岸地域で、いくつかの巨大地震が
発生すると公表しています。
また、日本列島では大地震だけが災害ではありません。
台風や豪雨、火山の噴火などの災害についても備えな
ければなりません。

「誇り(プライド)からのワンシーン、ありがとう!」
今から11年前。厳しい被災状況の中で、故郷の再生のために
立ち上がった男たちが居たことを忘れないで欲しい。
今の子供たちにも、当時から現在に続く復興への希望を
つないだ鉄道マンたちのプライドを知ってもらいたい。
映像作品「誇り(プライド)」
今一度、当時を振り返る意味でご視聴いただければ
幸いです。特に小学生以下のお子様がいらっしゃる方は、
是非ともご一緒にご覧ください!
category: YouTube動画
オリジナル動画「帰っておいで~故郷(ふるさと)の風~」公開しました!
最新作オリジナル動画、youtubeにて公開しました。
~都会の雑踏の中、風が運んできたのは、
ふるさとの懐かしい記憶でした~
この動画は、当制作室の女性スタッフと知人女性との会話から生まれました。
昨今のコロナウイルスのために、ふるさとに帰ることが出来なくなって
しまった知人女性に、かつて彼女が帰省する際に利用したという
「急行銀河」に帰郷への思いを託して再現したもので、
その女性スタッフが中心となって脚本を仕上げました。
その際、再現したいシーンを作るために痛感したのは、ジオラマ
レイアウトでは背景に当たるストラクチャーの大切さでした。
自然かつリアルな情景を演出するには、ストラクチャーで決まる
部分があるだけに、今回の都会の雑踏を表すシーンでも、
ただ店舗を中心とした建物を道に並べて配置しただけでは、
どうしてもチープなものとなってしまいます。
そこで、ストラクチャーに元から付属していたシールなどに加えて、
新たに棚やショーウィンドウなどの内装に手を加えてみました。

完成した都会の雑踏の街並みを再現した情景
まずは左端のコンビニから、順次手を加えた内装について
軽く触れていきたいと思います。
◎コンビニ◎

コンビニと言えば明るい照明と品ぞろえ豊富な陳列棚が特徴です。


基本的に内装は、もともと付属していたシールを説明書通りに貼り付けた
ものですが、店内すべてを明るく照らすためライトを3個取り付けています。

窓が大きく店内の様子がよく見えるため、人を適宜配置することで
よりリアルな情景を再現。

また、コンビニ横に街路樹を立てることで奥行きに違和感を覚えなく
なりました。尚、街路樹の中には葉の隙間から街灯りがこぼれて
見えている、という演出の為にLEDライトを付けています。
実はこのライトの配線は全てコントローラー付きで、他の照明も、
シチュエーションに応じて必要な光量をボリュームで調節することが
できるようにしています。
◎ブティック◎

商業ビルをブティックに改装。


中に何もないとまるで廃ビルのようなので、店内壁面には陳列ケースや
マネキンなどを印刷したシールを貼り、中央部分に陳列台とその上に
並ぶ衣服を自作。


入口横にポスターやディスプレイスポットを模した壁を作り、
砲弾型LEDを真上につけることで、スポットライトを当てたような
ショーウィンドウ特有の雰囲気を醸し出せるように
再現しました。
また、店内に取り付けた照明用のコード類を、プラバンで
製作した陳列棚で隠すことで店内をすっきりさせています。
◎レトロカフェ◎


施設ビルが連続しているだけでは味気ないので、隠れ家スポット的な感じで
レロトカフェを採用。店の前には花壇を置きました。
店内はほぼ作成されているので、おかしくない程度に人物を配置しています。

レトロカフェ店内の様子

ブティックとレトロカフェ。奥行きが違うのでカフェの後ろに
街路樹を立てて道幅を調整しています。
◎デパート◎

総合ビルをデパートにするため、柱を立てたり1階中央に
大型の階段を作ったり、各階のフロアを製作しています。


1階はレディースフロアとなっています。左右に柱を意図的に設置し、
左側はランジェリー売り場ということで、その柱にはランジェリー
ショップ特有のポスターを。
右側は貴金属売り場なので、ジュエリーや時計のポスターを
貼っています。また、貴金属売り場はガラスのショーケースを
意識して、透明プラバンによって作成しています。
その中央には自作した階段を大胆に配置し、ストラクチャーの
作りから吹き抜け構造にしました。


2階部分は紳士服売り場、3階は婦人服売り場です。
フロアを作り分ける事が難しかったので、フィギュアを
配置できる部分を設置しました。

また、構造上陳列棚などは置けないので、ストラクチャーの
壁面に直接、商品やポスター、エレベーターなどを
印刷したシールを貼って各フロアを表現しています。

リアルさを追求して作り込みましたが、終わってみると
かなりの大改造となりました。
今回の動画では、都会の街並みから故郷の記憶にある
山や滝、神社などの自然な光景と、正反対の風景を
取り入れています。
自然の風景については、紀州に実在する神社に熊野古道と
那智の滝をジオラマで製作しました。この点は、山や滝や
神社といったあまり抽象的なイメージではなく、現実に存在
している美しい風景を製作するという意図があった事によります。
これらのジオラマについては、以前のブログでご紹介して
いますので、宜しければ下記リンクからブログをご覧ください。
新宮市にある急な石段で有名な神社の製作にチャレンジした
≫紀勢本線の動画制作に向けて
≫巨岩神社のジオラマ完成
三名瀑のひとつ、那智大滝及び熊野古道をモチーフにしたジオラマ製作
≫大瀑布のジオラマ完成
≫ジオラマ製作~滝の製作過程~
尚、熊野古道を再現したジオラマは1度撮影を行った際に、
階段の横幅が広すぎるという事で、後からフォーリッジで
改良を行った上で再度撮影に臨みました。
また、映像で使用している滝の音声は実物の那智の滝の
音を録音したものを使用していますが、那智の滝の轟音を
再現する為に、イコライザーで周波数調整、エコーチェンバーに
よるエコーの調整を施しています。
もともとは紀州方面の風景と鉄道が映像制作の主題でしたので、
映像で登場する列車は、海辺を走る「381系くろしお」。
国鉄塗装の「381系くろしお」、「105系」とすれ違う「289系くろしお」など、
紀州路で活躍した車両が多くなっています。
「381系」「289系」は比較的新しい車両ですが、その他にも彼女が
年に2回の帰省で利用していた「急行銀河」や、懐かしの「キハ80系
くろしお」やDF50牽引の旧型客車も登場します。
故郷というのは、生まれ育った土地というだけではなく、
心に根付く思い出のたくさん詰まった精神的な拠り所であり、
懐古と共に心を癒してくれる場所でもあります。
そんな所に帰ることも儘ならないというのは辛いものです。
実際に帰省することは叶わなくとも、せめてジオラマの世界では
思い出のふるさとへ…
ブログの冒頭でも述べた通り、本作ではそうした思いも込めて
製作しました。どうぞ、ご覧ください。
category: YouTube動画
「富塚商会」鉄路の記憶から~Queen~
~その称号は貴女のためにある
流美な横顔は気品に満ち
その姿に誰もが
新しい風を感じた
その風は鉄路に色彩を与え
緑の風をまとって走る姿に
すべての景色は魅了される~
現在、製作室では新製品メイクアップシール
「151系こだま・つばめ」を鋭意製作中です。
さて、そんな「151系こだま」ですが、以前撮影した
オリジナル映像作品集「鉄路の記憶」の中でも
フィーチャーしており、一編の作品を制作しました。
本日、YouTubeサイトに「鉄路の記憶」に収録の
「151系こだま」の映像作品を公開。
その作品タイトルはズバリ「Queen」
ブログ冒頭のキャッチコピーにある称号「Queen」は、
スマート且つ流麗な「151系こだま」のことを指しています。


この時撮影に使用した151系は、今回シール化を行っている
KATOの「151系こだま・つばめ」ではなく、マイクロエースの
「国鉄151系特急こだま」で、デラックス展望車(パーラーカー)が
連結されたセットです。

1959(昭和34)年には高速度試験において、狭軌レールにおける
当時の世界最高速記録163km/hをマークしました。映像ではビデオ
カメラで流し撮りを行い、そんな151系のスピード感を表現。

「こだま」と他の列車のすれ違いシーンや少し変わった(?)も登場。
上の写真は青大将とのすれ違いシーンです。
尚、今回の動画は「151系こだま」登場のインパクトをお伝え
する為に、当時の時代背景を含めた解説文を多めに挿入しました。
スマホ画面でご視聴いただく場合、文章を読むのが少し大変かと
思われますので、本ブログの最後に解説文を転載しました。
宜しければ、動画の視聴と併せてお読みください。
また、映像はもちろん、音声にもこだわって映像を制作していますので、
DVD「鉄路の記憶」を送らせていただいたお客様には、是非とも大画面
テレビと高音質な音声の再生出来る環境にてご覧いただければ幸いです。
それでは、メイクアップシール「151系こだま・つばめ」発売まで、
「151系こだま」の活躍を描いた映像作品「Queen」をお楽しみください。
(以下、動画内文章の転載)
────────────────────────────
・1958年(昭和33年)
151系こだまの登場はまさに衝撃的だった。
流線形による曲線を多用した車体はこれまでになかった
クリームと赤の配色でドレスアップし、まさに鉄路の
クイーンといった印象で東京-大阪間を6時間30分で
結んだことから日帰り出張を可能にした。
ちなみに最高時速110キロ、表定速度86キロと現在の在来
線特急と比べてもその速さは引けを取らない。
・車内設備においても、全車両にクーラーを配置し、
食堂車やビッフェに至ってはそれまでの石炭式レンジを
電気式に変え、また、現代になって広く普及した
エアタオルを採用するなど、大きく近代化が図られた。
ちなみに当時はまだ、家庭のテレビも一部の家庭に普及
し始めたところで街頭テレビが幅を利かせ、冷房も一般
家庭では扇風機があれば良いほうだった。
・「こだま」開業から4年が経っても、その人気は衰える
ことを知らず、乗車率は95%を誇っていた。この事から
国鉄は「つばめ」「はと」「富士」も151系化したが、
これらの列車も「こだま」同様に高い乗車率を示した。
そこで急遽157系に冷房工事を施し、特急「ひびき」と
して輸送力の増強に努めたのだった。
────────────────────────────
流美な横顔は気品に満ち
その姿に誰もが
新しい風を感じた
その風は鉄路に色彩を与え
緑の風をまとって走る姿に
すべての景色は魅了される~
現在、製作室では新製品メイクアップシール
「151系こだま・つばめ」を鋭意製作中です。
さて、そんな「151系こだま」ですが、以前撮影した
オリジナル映像作品集「鉄路の記憶」の中でも
フィーチャーしており、一編の作品を制作しました。
本日、YouTubeサイトに「鉄路の記憶」に収録の
「151系こだま」の映像作品を公開。
その作品タイトルはズバリ「Queen」
ブログ冒頭のキャッチコピーにある称号「Queen」は、
スマート且つ流麗な「151系こだま」のことを指しています。


この時撮影に使用した151系は、今回シール化を行っている
KATOの「151系こだま・つばめ」ではなく、マイクロエースの
「国鉄151系特急こだま」で、デラックス展望車(パーラーカー)が
連結されたセットです。

1959(昭和34)年には高速度試験において、狭軌レールにおける
当時の世界最高速記録163km/hをマークしました。映像ではビデオ
カメラで流し撮りを行い、そんな151系のスピード感を表現。

「こだま」と他の列車のすれ違いシーンや少し変わった(?)も登場。
上の写真は青大将とのすれ違いシーンです。
尚、今回の動画は「151系こだま」登場のインパクトをお伝え
する為に、当時の時代背景を含めた解説文を多めに挿入しました。
スマホ画面でご視聴いただく場合、文章を読むのが少し大変かと
思われますので、本ブログの最後に解説文を転載しました。
宜しければ、動画の視聴と併せてお読みください。
また、映像はもちろん、音声にもこだわって映像を制作していますので、
DVD「鉄路の記憶」を送らせていただいたお客様には、是非とも大画面
テレビと高音質な音声の再生出来る環境にてご覧いただければ幸いです。
それでは、メイクアップシール「151系こだま・つばめ」発売まで、
「151系こだま」の活躍を描いた映像作品「Queen」をお楽しみください。
(以下、動画内文章の転載)
────────────────────────────
・1958年(昭和33年)
151系こだまの登場はまさに衝撃的だった。
流線形による曲線を多用した車体はこれまでになかった
クリームと赤の配色でドレスアップし、まさに鉄路の
クイーンといった印象で東京-大阪間を6時間30分で
結んだことから日帰り出張を可能にした。
ちなみに最高時速110キロ、表定速度86キロと現在の在来
線特急と比べてもその速さは引けを取らない。
・車内設備においても、全車両にクーラーを配置し、
食堂車やビッフェに至ってはそれまでの石炭式レンジを
電気式に変え、また、現代になって広く普及した
エアタオルを採用するなど、大きく近代化が図られた。
ちなみに当時はまだ、家庭のテレビも一部の家庭に普及
し始めたところで街頭テレビが幅を利かせ、冷房も一般
家庭では扇風機があれば良いほうだった。
・「こだま」開業から4年が経っても、その人気は衰える
ことを知らず、乗車率は95%を誇っていた。この事から
国鉄は「つばめ」「はと」「富士」も151系化したが、
これらの列車も「こだま」同様に高い乗車率を示した。
そこで急遽157系に冷房工事を施し、特急「ひびき」と
して輸送力の増強に努めたのだった。
────────────────────────────
category: YouTube動画
「富塚商会」鉄路の記憶から~誇り(プライド)~
~鉄路の男たちに与えられた使命
それは冷え切った北の大地に希望を運ぶこと
俺たちが運ばないで誰が運ぶ
そんな彼らも被災者だった~
この文章は『鉄路の記憶』の誇り(プライド)で使われたものです。
この作品の中に出てくる男たちは、普段は表に出てこない鉄道マンたち。
大震災という困難時に意地とプライドを懸けた、保線員や
運転手など、名もなき現場の鉄道マンたちの物語を表現しました。
もうすぐ3.11東日本大震災発生から10年が経ちます。
10年という月日が流れても、被災地は未だに爪痕が残り、
復興も道半ばとなっています。
大震災当時、被災者を襲う最大の問題は過酷な寒さでした。
電気、ガス、上下水道、通信などのライフラインも各所で損壊し、
避難所で寄り集まって厳しい生活を送る中被災者たちの為に
石油を届ける臨時列車計画が動き出しました。
しかし、いくら日本の鉄道技術力が世界的に認められる
ほどのものでも、その計画は困難の連続でした。
東北へと繋がる線路も、地震や津波被害などで東北本線が不通となり、
一刻を争う事態のため、復旧を待つこともできない。
そこで、普段貨物列車の走らない、勾配がきつく、急な坂とカーブが
連続する山越えの険しいルートを通る磐越西線選ばれました。
しかしそれは同時に新たな難問に直面することを意味します。
その難問とは、燃料の輸送において、度重なる余震による
列車の転覆、炎上の危険をはらむ大きなリスクを抱えていました。
~鉄路に生きる男たち
鉄路を守る男たち
そんな男たちが握りしめたのは
熱いドラフトにも似た
鉄路の誇り…プライド…~
特に磐越西線の場合、線路等級がDD51の重連。そして
燃料を満杯にした10両のタキ1000ではギリギリであること。
DD51の重量運転には、独特の技術が必要なこと。
余震が続く中、根岸から郡山まで1000キロを超える
輸送距離など、リスクを挙げれば数えきれない状況で
行わなくてはなりませんでした。
それでもその後も続く困難を乗り越えたのは、被災者を
救いたいというまさに鉄道マンたちの意地とプライドでした。
鉄道の歴史を振り返る時、その目に留まる多くの出来事は、
時代を彩るスマートな新型車両であったり、或いはその
プロジェクトを主導した開発リーダーの話題だったりする事が
殆どです。
しかし、震災の復興支援といった鉄道文化を根底から支えて
きたのは、名前も登場しない現場の鉄道マン達の矜持が
あればこそだという事を忘れてはならないと思います。
category: YouTube動画