惜別~185系特急「踊り子」~
3月13日のダイヤ改正で、定期「踊り子」をE257系に譲り、
定期としての「踊り子」から引退した「185系特急 踊り子」
今回、制作室ではそんな185系「踊り子」に惜別の思いを
込めて、185系の特急「踊り子」誕生に至るまでの歴史を
ジオラマ写真を使いながら振り返ってみました。
~特急「踊り子号」物語~
特急踊り子の誕生のルーツを辿っていくと、1948年(昭和23年)、
東京-伊東間(翌年には修善寺行き編成を連結)の
快速客車列車にたどり着きます。
ただし、当時のこの列車には列車名称がなく、土曜日下り片道
運転、日曜日上り片道運転という変則的な運行でした。
これは当時から伊豆への観光需要が高かったことを存分に
証明しています。このため、大いに好評を得ていたこの列車は、
準急列車に格上げされ、また、公募によって愛称名「いでゆ」が
つけられるまでになりました。
実はこれが、「踊り子」の前身の列車なのです。
この公募による愛称名ですが、終戦後の混乱も続く中、
優等列車であっても愛称名が付かなかった時代の中で、
当時の伊豆への需要の高さを思わせます。

EF57牽引準急「いでゆ」
1951年(昭和26年)80系電車が東海道線で運用を開始されると、
東京と伊豆を結ぶ「いでゆ」以外に、「いこい」「あまぎ」「はつしま」
「たちばな」「伊豆」「おくいず」「十国」といった準急列車たちが登場し、
順次80系電車化され、所要時間も大幅に短縮されたこともあり、
東伊豆、西伊豆観光の需要が一層高くなりました。
1954年(昭和29年)、「伊豆」「はつしま」は定員制列車となりますが、
この定員制列車とは、現在でいう全席座席指定のことで、
全座席というのは当時の準急列車としては極めて異例で、
観光地へのゆったりとした旅を提供することになりました。
その後、「いでゆ」「十国」「たちばな」にも指定席を連結するようになり、
現在の全国のリゾート地向けの優等列車の編成がこの年に完成した
ことを意味します。

80系「いでゆ」
1958年(昭和33年)東京~大阪(神戸)で151系こだまが営業運転を開始、
準急東海、比叡でも153系による営業運転が開始されました。
これらの車両は空気ばね台車とモノコック軽量構造車体からなり、
制御装置・モーター・ブレーキ装置に至るまでこれまでの車両とは大きく
異なる革新的な技術から生み出された車両で、静穏性の高い乗り心地と
より高い高速性能は中長距離列車に革命を及ぼしたものでした。
この年の153系準急東海、比叡の成功を受け翌年の1959年(昭和34年)には
「いでゆ」、「伊豆」をはじめとする伊豆半島行き準急にも153系が投入されて
いき、1961年(昭和36年)の伊豆急行の下田まで開業とともにリゾート開発も
進められていきました。

151系と153系
1964年(昭和39年)東海道新幹線が開業します。
当初、伊豆への観光の足としての新幹線の利用から
在来線の乗車率の落ち込みが懸念されていました。
しかし、これらの伊豆向け準急の乗車率の落ち込みはなく、
土日に関しては臨時の伊豆向け準急が運行されるほどの
盛況ぶりでした。
そこで東海道新幹線開業にともない余剰になった157系特急
「ひびき」の編成を新幹線開業から1か月後に下田・修善寺
行きの急行「伊豆」として投入するほどの盛況ぶりでした。
1968年(昭和43年)いわゆるヨンサントオのダイヤ改正で
全国の準急がすべて急行に格上げされ、伊豆向け優等列車も
全車指定席の「伊豆」と自由席設定のある「おくいず」の2列車に
整理されました。
この時の伊豆には153系と157系の編成が号数によって混在し、
ボックス席の153系と特急の座席という格差が生まれていました。
また、当時の153系には非冷房のものも多く存在し、この格差が
後の157系特急「あまぎ」の誕生へ導く結果に繋がったのでした。
ただし、若いグループには153系のボックス席の方が人気が
あったのも、その時代特有のニーズとして興味深いところでしょう。

153系と157系急行「伊豆」
(※157系のヘッドマーク・行先表示はメイクアップシール「157系あまぎ基本7両セット」、
側面行先サボは「国鉄153系・165系・457系電車10両セット」の表示幕シールを使用)
1969年(昭和44年)157系急行「伊豆」を格上げし、特急「ひびき」以来の
伊豆向け初の特急「あまぎ」が登場します。座席などの車内設備は
急行「伊豆」のままリニューアル工事はせず、ヘッドマークだけが独自の
デザインで新調されました。
その理由は大きな下降式窓の構造に欠陥があり、車体鋼体側面
下部に水が溜まり、車体の腐食が進んでいたことからリニューアル
工事を断念したものと思われます。
それでも全車座席指定、停車駅も東京を発車した後は横浜も小田原も
熱海も通過し、網代までノンストップ運転を行い、特急列車としての格の
高さを示す存在でした。1976年(昭和51年)老朽化が深刻になったため、
新製車両の183系1000番台に置き換えられました。

157系特急「あまぎ」
1981年(昭和56年)3月153系の老朽化のため、185系が投入されますが、
話は1970年代に戻ります。当時の東京南鉄道管理局が管理する
東海道・横須賀線の旅客輸送力の逼迫が大きな問題になっていました。
そのため、伊豆向けの153系優等列車の片道を通勤時間の各駅停車に
使用するなど急行の車両だからといって優等列車だけに使用することは
許されない状況下にありました。
しかし、153系の老朽化による廃車は始まっており、ドル箱である伊豆向け
優等列車と通勤列車の両方の条件を併せ持つ車両の開発が必要不可欠に
なりました。こうして登場したのが185系で、当初は153系の置き換えという
目的から座席は転換クロスシートとし、走行性能も通勤電車なみの歯車比、
最高速度を110km/hと低く抑え、153・165系との併結運転を可能というもの
でした。そのため、153系が全廃されるまでの間、153系と185系併結運転の
急行「伊豆」が存在しました。


153系と併結運転を行う185系急行「伊豆」
1981年(昭和56年)10月伊豆向け優等列車はすべて185系特急「踊り子」に
統一され、特急「あまぎ」・急行「伊豆」は消滅します。
しかし、停車駅も所要時間が急行「伊豆」時代とほぼ同じで、185系「踊り子」に
関しては朝夕の普通電車に恒久的に使われていたため、特急料金を取られる
普通電車というレッテルさえ貼られる羽目となりました。
このため、翌年から格安なB特急料金が登場し、全国に普及するようになりました。
あくまでも筆者の感想ですが、185系は他の特急と比べても見劣りは感じないし、
普通電車使用時の185系のお得感は格別なものと感じています。

185系特急「踊り子」
最後に80系いでゆから185系踊り子のヘッドマークを並べてみました。

左から「いでゆ」「伊豆」「あまぎ」「踊り子」の各ヘッドマーク
それぞれにその時代ごとの特徴が出ていますが、やはり「踊り子」の
ヘッドマークだけがその他のヘッドマークとは大きく趣が異なるように感じます。
ちなみに、「踊り子」という名称は一般公募から選ばれたもので、もちろん、
川端康成の小説「伊豆の踊子」がその由来となっています。
ですが、年代的に考えると、この公募に応じた人達は小説の「伊豆の踊子」
よりも、吉永小百合さんや山口百恵さんが主役を演じた映画の「伊豆の
踊子」の方が強くイメージにあったような気もします…
いずれにしても、この特急「踊り子」が185系からE257系に代わっても、
いつまでも人々の記憶に残る列車であってほしいものです。
さて、185系「踊り子」のメイクアップシール好評販売中!

185系200番台 踊り子色(リニューアル前) 7両セット\3,520
品番:TM-KN135
185系200番台 踊り子色 7両セット \3,520
品番:TM-KN088
また、本ブログにて登場した153系・157系対応の
メイクアップシールも発売中です。

国鉄153系・165系・457系電車 10両セット \3,740
品番:TM-KN079
157系 あまぎ 基本7両セット \3,520
品番:TM-KN080
(※上記販売価格は2021年3月時点のものです)
「国鉄153系・165系・457系電車」では側面サボシールに、
急行「伊豆」や「おくいず」を収録。
また、「157系あまぎ」に付属の行先表示シールでは製品に
付属している「特急あまぎ」の他に、特急「ひびき」、急行
「伊豆」再現用のヘッドマーク及び行先表示シール各種も
ご用意しましたので、153系、157系の様々な編成再現を
お楽しみいただけます。
定期としての「踊り子」から引退した「185系特急 踊り子」
今回、制作室ではそんな185系「踊り子」に惜別の思いを
込めて、185系の特急「踊り子」誕生に至るまでの歴史を
ジオラマ写真を使いながら振り返ってみました。
~特急「踊り子号」物語~
特急踊り子の誕生のルーツを辿っていくと、1948年(昭和23年)、
東京-伊東間(翌年には修善寺行き編成を連結)の
快速客車列車にたどり着きます。
ただし、当時のこの列車には列車名称がなく、土曜日下り片道
運転、日曜日上り片道運転という変則的な運行でした。
これは当時から伊豆への観光需要が高かったことを存分に
証明しています。このため、大いに好評を得ていたこの列車は、
準急列車に格上げされ、また、公募によって愛称名「いでゆ」が
つけられるまでになりました。
実はこれが、「踊り子」の前身の列車なのです。
この公募による愛称名ですが、終戦後の混乱も続く中、
優等列車であっても愛称名が付かなかった時代の中で、
当時の伊豆への需要の高さを思わせます。

EF57牽引準急「いでゆ」
1951年(昭和26年)80系電車が東海道線で運用を開始されると、
東京と伊豆を結ぶ「いでゆ」以外に、「いこい」「あまぎ」「はつしま」
「たちばな」「伊豆」「おくいず」「十国」といった準急列車たちが登場し、
順次80系電車化され、所要時間も大幅に短縮されたこともあり、
東伊豆、西伊豆観光の需要が一層高くなりました。
1954年(昭和29年)、「伊豆」「はつしま」は定員制列車となりますが、
この定員制列車とは、現在でいう全席座席指定のことで、
全座席というのは当時の準急列車としては極めて異例で、
観光地へのゆったりとした旅を提供することになりました。
その後、「いでゆ」「十国」「たちばな」にも指定席を連結するようになり、
現在の全国のリゾート地向けの優等列車の編成がこの年に完成した
ことを意味します。

80系「いでゆ」
1958年(昭和33年)東京~大阪(神戸)で151系こだまが営業運転を開始、
準急東海、比叡でも153系による営業運転が開始されました。
これらの車両は空気ばね台車とモノコック軽量構造車体からなり、
制御装置・モーター・ブレーキ装置に至るまでこれまでの車両とは大きく
異なる革新的な技術から生み出された車両で、静穏性の高い乗り心地と
より高い高速性能は中長距離列車に革命を及ぼしたものでした。
この年の153系準急東海、比叡の成功を受け翌年の1959年(昭和34年)には
「いでゆ」、「伊豆」をはじめとする伊豆半島行き準急にも153系が投入されて
いき、1961年(昭和36年)の伊豆急行の下田まで開業とともにリゾート開発も
進められていきました。

151系と153系
1964年(昭和39年)東海道新幹線が開業します。
当初、伊豆への観光の足としての新幹線の利用から
在来線の乗車率の落ち込みが懸念されていました。
しかし、これらの伊豆向け準急の乗車率の落ち込みはなく、
土日に関しては臨時の伊豆向け準急が運行されるほどの
盛況ぶりでした。
そこで東海道新幹線開業にともない余剰になった157系特急
「ひびき」の編成を新幹線開業から1か月後に下田・修善寺
行きの急行「伊豆」として投入するほどの盛況ぶりでした。
1968年(昭和43年)いわゆるヨンサントオのダイヤ改正で
全国の準急がすべて急行に格上げされ、伊豆向け優等列車も
全車指定席の「伊豆」と自由席設定のある「おくいず」の2列車に
整理されました。
この時の伊豆には153系と157系の編成が号数によって混在し、
ボックス席の153系と特急の座席という格差が生まれていました。
また、当時の153系には非冷房のものも多く存在し、この格差が
後の157系特急「あまぎ」の誕生へ導く結果に繋がったのでした。
ただし、若いグループには153系のボックス席の方が人気が
あったのも、その時代特有のニーズとして興味深いところでしょう。

153系と157系急行「伊豆」
(※157系のヘッドマーク・行先表示はメイクアップシール「157系あまぎ基本7両セット」、
側面行先サボは「国鉄153系・165系・457系電車10両セット」の表示幕シールを使用)
1969年(昭和44年)157系急行「伊豆」を格上げし、特急「ひびき」以来の
伊豆向け初の特急「あまぎ」が登場します。座席などの車内設備は
急行「伊豆」のままリニューアル工事はせず、ヘッドマークだけが独自の
デザインで新調されました。
その理由は大きな下降式窓の構造に欠陥があり、車体鋼体側面
下部に水が溜まり、車体の腐食が進んでいたことからリニューアル
工事を断念したものと思われます。
それでも全車座席指定、停車駅も東京を発車した後は横浜も小田原も
熱海も通過し、網代までノンストップ運転を行い、特急列車としての格の
高さを示す存在でした。1976年(昭和51年)老朽化が深刻になったため、
新製車両の183系1000番台に置き換えられました。

157系特急「あまぎ」
1981年(昭和56年)3月153系の老朽化のため、185系が投入されますが、
話は1970年代に戻ります。当時の東京南鉄道管理局が管理する
東海道・横須賀線の旅客輸送力の逼迫が大きな問題になっていました。
そのため、伊豆向けの153系優等列車の片道を通勤時間の各駅停車に
使用するなど急行の車両だからといって優等列車だけに使用することは
許されない状況下にありました。
しかし、153系の老朽化による廃車は始まっており、ドル箱である伊豆向け
優等列車と通勤列車の両方の条件を併せ持つ車両の開発が必要不可欠に
なりました。こうして登場したのが185系で、当初は153系の置き換えという
目的から座席は転換クロスシートとし、走行性能も通勤電車なみの歯車比、
最高速度を110km/hと低く抑え、153・165系との併結運転を可能というもの
でした。そのため、153系が全廃されるまでの間、153系と185系併結運転の
急行「伊豆」が存在しました。


153系と併結運転を行う185系急行「伊豆」
1981年(昭和56年)10月伊豆向け優等列車はすべて185系特急「踊り子」に
統一され、特急「あまぎ」・急行「伊豆」は消滅します。
しかし、停車駅も所要時間が急行「伊豆」時代とほぼ同じで、185系「踊り子」に
関しては朝夕の普通電車に恒久的に使われていたため、特急料金を取られる
普通電車というレッテルさえ貼られる羽目となりました。
このため、翌年から格安なB特急料金が登場し、全国に普及するようになりました。
あくまでも筆者の感想ですが、185系は他の特急と比べても見劣りは感じないし、
普通電車使用時の185系のお得感は格別なものと感じています。

185系特急「踊り子」
最後に80系いでゆから185系踊り子のヘッドマークを並べてみました。

左から「いでゆ」「伊豆」「あまぎ」「踊り子」の各ヘッドマーク
それぞれにその時代ごとの特徴が出ていますが、やはり「踊り子」の
ヘッドマークだけがその他のヘッドマークとは大きく趣が異なるように感じます。
ちなみに、「踊り子」という名称は一般公募から選ばれたもので、もちろん、
川端康成の小説「伊豆の踊子」がその由来となっています。
ですが、年代的に考えると、この公募に応じた人達は小説の「伊豆の踊子」
よりも、吉永小百合さんや山口百恵さんが主役を演じた映画の「伊豆の
踊子」の方が強くイメージにあったような気もします…
いずれにしても、この特急「踊り子」が185系からE257系に代わっても、
いつまでも人々の記憶に残る列車であってほしいものです。
さて、185系「踊り子」のメイクアップシール好評販売中!

185系200番台 踊り子色(リニューアル前) 7両セット\3,520
品番:TM-KN135
185系200番台 踊り子色 7両セット \3,520
品番:TM-KN088
また、本ブログにて登場した153系・157系対応の
メイクアップシールも発売中です。

国鉄153系・165系・457系電車 10両セット \3,740
品番:TM-KN079
157系 あまぎ 基本7両セット \3,520
品番:TM-KN080
(※上記販売価格は2021年3月時点のものです)
「国鉄153系・165系・457系電車」では側面サボシールに、
急行「伊豆」や「おくいず」を収録。
また、「157系あまぎ」に付属の行先表示シールでは製品に
付属している「特急あまぎ」の他に、特急「ひびき」、急行
「伊豆」再現用のヘッドマーク及び行先表示シール各種も
ご用意しましたので、153系、157系の様々な編成再現を
お楽しみいただけます。
category: 185系踊り子色